あたしが眠りにつく前に
 珠結は右手の手首を握り、じっと見つめる。動け、握れ。しかし右手の指は中途半端に曲がったまま、開くことも閉じることもない。

 ああ、とうとう。来てしまったのか。左手はまだ言うことを聞くが、腕が鉛のように重い。屈み込んで拾うのは無理そうだ。つんのめって倒れ込むリスクもある。

兆候を感じたのは前回目覚めた時。腕が重くてたまに感覚が無くなった。今度はすぐに医師と母に報告した。帆高には自分の口からと、少しでも症状が出たときに言うつもりだった。

 漕ぐこともできそうに無い。空しいことに、再び誰も通ってくれない。帆高が引き返してくれるのを待つしかないだろう。

 足元からバイブレーションが鳴り響く。呼ばれているのに、応えられない。こんなに近くにいるというのに。その歯がゆさに、珠結は歯を食いしばった。無情にも音は途切れ、ランプの点滅が再開する。

 シートにもたれ、空を見上げる。いい、天気だ。今日は青と白のコントラスト具合が抜群だ。太陽は雲の中に隠れ、目を細めなくても見上げていられる。

 早く、戻って来てくれたらなあ。勝手に動き回っておいて、どの口が言うのだろう。

 君を、想っていました。君の前では言えない言葉を口ずさむ。返って来るのは、風に誘われて揺れる木々の葉の音だけ。

十年以上も一緒にいたのに、気づいたのが3ヶ月前だなんて遅すぎる。里紗に話せば、「この鈍感‼」と頭をはたかれそうだ。そう、自分は輪をかけた鈍感だ。レアな天然記念物並の鈍感で。

……ホントウニ、ソウダッタ? 

一度たりとも、彼を想ったことはなかった? 彼の想いに、気づかなかった?

 中学校に入学してすぐに、彼氏ができた同級生を何人か知っている。いずれも夢見るように各々の彼氏の惚気話に花を咲かせ、初めてのデートに頭を悩ませていた。

しかしすれ違いや些細な喧嘩によって多くが数ヶ月で関係を終わらせ、長くても1年も持たなかった。人の気持ちは、あっけなく移り変わってしまう。戸惑いながら、彼女達を見ていた。

 その頃の帆高はサッカーに熱中していて、幼い頃より接触も会話の機会も少しだけ減った。しかし言葉を交わせば何も変わっていなくて、変わらないものもあると信じていた。

下手に変えようとしなければ、変わらないままの現状を続けていられる。彼女達だって恋人関係にならなければ、友達または憧れの対象として接し、見つめていられた。

 別れた恋人達はその後、互いにぎこちないものを抱えていた。上手く話せない、目を見られない、避けてしまう。新しい恋人ができても、しこりがあって付き合う前のような仲には戻れない。友人の一人は溜息がてら、漏らしていた。

 変えてしまって、壊れてしまった時を考えれば怖くてたまらない。元にすら、戻れない。ならば、いっそずっとこのままで。彼は幼馴染で、大切な親友。そう信じていた日々は穏やかで安心していられて…楽だった。
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