あたしが眠りにつく前に
 この授業を取っている知人は一之瀬と奴だけだ。しかも一度課題を忘れただけでも単位をくれない必須科目のため、決して落とすことはできない。

契約成立。憎らしい小悪党は口を開かず、自分の背中を指差した。

 まさか。着ていた上着を脱げば、背中に一枚のメモが貼られていた。内容を見て、彼は脱力のあまり机に突っ伏した。一之瀬の帰り際の行動と意味深な笑みの意味が今になって分かる。

「一之瀬さまさま」とにやける共犯者の首を絞めてやりたい。まんまとやられた。ちくしょう。

「はー、とんだ詐欺師だっつの。お前も、よく分かったな」

「背中はたくの俺に見せ付けてるみたいだったし、あの意味ありげな顔見てもしかしてーって。一之瀬は機転が利くなあ。今度昼飯でもおごってやろーっと」

「マジ、分かんねえ。頭も運動神経もルックスも良くてストイックでクールだけど隠れ世話焼きないい奴なのに、彼女いないなんて。あいつなら選び放題で女に困らないだろ。さんざはべらせてきたから、しばらくはいいってか?」

 口を尖らせて指でのの字を書く。世界は不公平だ。自分も一之瀬に生まれていたら、人生薔薇色だったろうに。酒が入ると僻み症に拍車がかかるのだが、彼自身は気づいていない。

「ベタ褒めしといて、拗ねるなよ。分かるけどさ。でも一之瀬、一度も彼女いたことないんだってさ」 

「は、嘘だろ? 有り得ねえ。もっとまともな嘘つけよ。だいたい、向こうが放っておかねえだろ」

「いや、嘘じゃないんだって。全部断って年齢イコール彼女いない歴を日々更新してるって言ってた。信じらんないよなー」

「なら、高校時代に1人いた俺の方が勝ち組だよな!? よし! 今日は気合を入れて絶対2人はメアドゲットすんぞ!! お前もオタクトークしないで真剣に盛り上げろよ。万能だけが全てじゃないって、あいつに思い知らせてやるっ」

 …やっぱりこいつは馬鹿だなあ。人のことは言えないけれど。一人燃え上がる彼に引きつつ、オタクこと御園は数ヶ月前の部屋飲みをした夜を思い返す。

 一之瀬とは大学に入学当初からの付き合いだが、とんと女の気配も色めいた話一つさえもなかった。もちかけても興味なさげで、聞いても流された。

 酒の力を借りれば一之瀬でも、何かポロっと漏らすかもしれない。勧めに勧めた末、一之瀬は意外と酒が弱いことが判明した。それでも、引き出せたのは先ほど話した少しのことのみ。

 あ、こいつに話したってことバレたら、縁切られるかな。

冷や汗をかきながら、御園は寝落ちする寸前の一之瀬が漏らした言葉を反芻した。本人はうっかり呟いたことも、御園が聞いていたことも覚えていないだろう。

『彼女は、決して俺に振り向いてはくれない』
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