あたしが眠りにつく前に
 モダンなホールクロックの鐘が1つ鳴る。塚本に待ち合わせの時間を尋ねれば、1時半に駅前
だという。駅までは徒歩5分、まだ余裕はある。 

「一之瀬こそ、時間いいの? ここから病院まで遠いのに、そのままとんぼ返りで寮に帰るんだよね。遅くならない?」

 見舞いが済んだら寮に直帰する。明日は1限から授業が入っているため、なるべく早めに帰って床に就くべきものだ。だからといって、彼女に会う時間を縮めようとは思わない。

 寮の門限は23時、前もって届けを出せば延長もできる。帆高としては1日の徹夜なら翌日に影響は出ないのだから、夕方を過ぎても傍にいたいのが本心だ。しかし「早く帰って早く寝ろ」と追い出されるため、いつも21時頃に帰寮している。

その人物には逆らえないため、後ろ髪を引かれるように病室を後にする。自分を思ってのためでもあるのだから、とりわけ。

「俺、もうちょっとここで時間潰してくよ。一之瀬だって早く会いたいでしょ、行きなって」

「俺に時間合わせてくれたのに悪いな。今日は俺が持つから。すみません、お勘定お願いします」

「わ、やめてよ! 自分で払うって」

 払う、払うなと諍っていると、のそりと現れた店主が無愛想に呟いた。

「代金なら、もうもらってる」

「え、俺達払った覚えないですよ?」

「お前の親父からだ。息子とその友達が来るから、これで食わせてやってくれだと。まだ残ってるから、あと3回はただ食いできるぞ」

 家では何も言わなかったくせに、粋なことをしてくれるものだ。むずがゆくも温かな気持ちになる。今度来る時は感謝を込めて、好きな和菓子ではなく青汁かカンブリ茶でも買っていくか。

「え、俺までいいの? なんか、悪いよ」

「気にしないで受け取っとけ。はあ、してやられた気分だな」

「ありがとう。おじさんにも、伝えといて。こんなサプライズ用意してくれてるなんて、一之瀬は愛されてるなあ。俺とは違って、家でも大事にされてるでしょ」

 「そりゃ、無理もないからな」店主はカウンターの椅子に座ると、新聞を開いた。新たな客や注文が無い限り反応しない、常連なら分かる彼のサインだ。

「どういう意味?」それを知っている塚本は、代わりに帆高に尋ねる。「さあ」と帆高は財布を鞄にしまう。

 塚本が言うとおり、自分は両親に愛されている。もちろん姉にも惜しみ無い愛情が注がれていたが、自分の方が目をかけられていた感は否めない。過去を鑑みたうえでの影響なのだが、店主もその辺の事情を知っているらしい。

 鞄の隙間から、出掛けに母から渡された手土産のビニール袋が覗く。風邪や腹痛の薬、絆創膏や包帯などがこれでもかと詰め込まれている。顔を出す度に渡されるものだから、ストックはたまるばかりだ。

中身自体は重くは無いのに、別の意味の重さが鞄の持ち手から、かけた肩へと伝わってくる。

「今度会うとしたら…成人式か? 着飾るのに集中しすぎて、遅刻するなよ」

「そんなヘマしないよ。一之瀬こそ、逆ナンされまくってタイムロスしないように気をつけなよ。じゃ、いってらっしゃい。永峰さんに、よろしくね」
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