あたしが眠りにつく前に
「はい。お邪魔してます、幸世さん」
友人の母親なのだから、「おばさん」と呼ぶのが妥当だろう。しかし彼女は十代で珠結を産んだ。初めて会った帆高が幼稚園児の時は、まだ二十台半ばにも差し掛かっていなかった。
帆高が遅くに授かった子供であったこともあり、自分の母親や他の母親達と比べて年若いことに幼心にも驚いた記憶がある。その影響が強くて、名前を呼んでいる。「おばさん」と呼んだこともあったが、思い切り顔を顰められたことも原因ではある。
邪魔も何も。珠結の母は呆れたように笑って、サイドボードに花瓶を置いた。花瓶に花は一輪、赤くて大きく膨らんだ蕾。
「幸世さん、その花って――」
「やあね、これは椿じゃないわよ。山茶花。中卒でもそのくらいの常識、あたしにだってあるわよ。近所の生垣で見かけたから、頼んで譲ってもらったのよ」
お見舞いの花に関するマナーは多々ある。首が落ちるように花を落とす椿、香りの強い百合などやシク(死苦)ラメン、根付く(寝付く)鉢植え。縁起の悪いものを持っていかないようにと、母にはしっかり叩き込まれた。
とはいえ滅多に訪れられないため、花の世話を押し付けることになるので控えていた。あと花選びの重要な点として、花言葉を重視せよとのこと。
「椿に似てますよね。そんな山茶花を選んだのって、花言葉が理由なんですか」
「まあね。大学行って学習環境整ってるんだから、それくらい自分で調べなさいよ」
そっけなく返されて、それもそうだと納得する。大学の図書館に花言葉の事典など無いだろうから、地元の図書館に足を運ぼうか。インターネットを使えば手っ取り早く一発で出てくるだろうが、それでは彼女の言葉の意図に反するような気がする。
そういえば、と帆高は慌てて立ち上がる。備え付けの椅子は一つだけ。
「年寄り扱いしないでほしいわね。せっかく来てくれた見舞い客を立たせる無礼はしないから、そのまま座ってなさい。」
萎縮しながら座り直し、帆高は再び珠結の顔に目を落とす。
「珠結、変わりないみたいですね」
「ええ。あたしの言ったこと、ちゃんと守ってるみたいじゃない。本当は従う筋合いなんて無いのにね」
「幸世さんの言ったことは、もっともなことですから。言ってもらわなかったら、俺は自分の気持ちを暴走させて、全てがどうでも良くなってたでしょうから。感謝してます」
「そうやって怖いことを言いのけるもんだから、危なっかしくて冷や汗ものなのよ。ガキの頃から知ってるし、あんたという人間は大体は読めてる。だから、不安でならなくなるわ。…珠結のことに関しては、特にね」
彼女には見抜かれている。表面上は普通を装っておいて、水面下では黒くてドロドロした感情を隠し持っていることに。ゆえに彼女は強い口調と威圧感をもって、この異常な塊を押さえ込んでくれている。
狂っていると承知した上で、普通に接して大事な娘の前に現われることを許してくれる。珠結とは違う意味で、彼女は真の理解者と言えるだろう。
「俺は、壊れてるのかもしれませんね」
「そうね。これ以上、壊れるのは勘弁してほしいわ。悲惨なことになるのは火を見るよりも明らかだし、あんた自身が身動きがとれなくなるからね。…そのためにも、ひとまずは罪悪感を持たないことよ。遅かれ早かれ迎えてたことなんだろうし、あんたがいたって事態は変わらなかったわ。くどいけど、自分を責める馬鹿な真似はするんじゃないわよ」
友人の母親なのだから、「おばさん」と呼ぶのが妥当だろう。しかし彼女は十代で珠結を産んだ。初めて会った帆高が幼稚園児の時は、まだ二十台半ばにも差し掛かっていなかった。
帆高が遅くに授かった子供であったこともあり、自分の母親や他の母親達と比べて年若いことに幼心にも驚いた記憶がある。その影響が強くて、名前を呼んでいる。「おばさん」と呼んだこともあったが、思い切り顔を顰められたことも原因ではある。
邪魔も何も。珠結の母は呆れたように笑って、サイドボードに花瓶を置いた。花瓶に花は一輪、赤くて大きく膨らんだ蕾。
「幸世さん、その花って――」
「やあね、これは椿じゃないわよ。山茶花。中卒でもそのくらいの常識、あたしにだってあるわよ。近所の生垣で見かけたから、頼んで譲ってもらったのよ」
お見舞いの花に関するマナーは多々ある。首が落ちるように花を落とす椿、香りの強い百合などやシク(死苦)ラメン、根付く(寝付く)鉢植え。縁起の悪いものを持っていかないようにと、母にはしっかり叩き込まれた。
とはいえ滅多に訪れられないため、花の世話を押し付けることになるので控えていた。あと花選びの重要な点として、花言葉を重視せよとのこと。
「椿に似てますよね。そんな山茶花を選んだのって、花言葉が理由なんですか」
「まあね。大学行って学習環境整ってるんだから、それくらい自分で調べなさいよ」
そっけなく返されて、それもそうだと納得する。大学の図書館に花言葉の事典など無いだろうから、地元の図書館に足を運ぼうか。インターネットを使えば手っ取り早く一発で出てくるだろうが、それでは彼女の言葉の意図に反するような気がする。
そういえば、と帆高は慌てて立ち上がる。備え付けの椅子は一つだけ。
「年寄り扱いしないでほしいわね。せっかく来てくれた見舞い客を立たせる無礼はしないから、そのまま座ってなさい。」
萎縮しながら座り直し、帆高は再び珠結の顔に目を落とす。
「珠結、変わりないみたいですね」
「ええ。あたしの言ったこと、ちゃんと守ってるみたいじゃない。本当は従う筋合いなんて無いのにね」
「幸世さんの言ったことは、もっともなことですから。言ってもらわなかったら、俺は自分の気持ちを暴走させて、全てがどうでも良くなってたでしょうから。感謝してます」
「そうやって怖いことを言いのけるもんだから、危なっかしくて冷や汗ものなのよ。ガキの頃から知ってるし、あんたという人間は大体は読めてる。だから、不安でならなくなるわ。…珠結のことに関しては、特にね」
彼女には見抜かれている。表面上は普通を装っておいて、水面下では黒くてドロドロした感情を隠し持っていることに。ゆえに彼女は強い口調と威圧感をもって、この異常な塊を押さえ込んでくれている。
狂っていると承知した上で、普通に接して大事な娘の前に現われることを許してくれる。珠結とは違う意味で、彼女は真の理解者と言えるだろう。
「俺は、壊れてるのかもしれませんね」
「そうね。これ以上、壊れるのは勘弁してほしいわ。悲惨なことになるのは火を見るよりも明らかだし、あんた自身が身動きがとれなくなるからね。…そのためにも、ひとまずは罪悪感を持たないことよ。遅かれ早かれ迎えてたことなんだろうし、あんたがいたって事態は変わらなかったわ。くどいけど、自分を責める馬鹿な真似はするんじゃないわよ」