あたしが眠りにつく前に
「それ、耳タコですよ。分かってますから――」

「いいや、あんたは分かってないわ。…キリが無いから、続きはまたいつかにしとくけど。そんじゃ、しばし邪魔者は退散するわね。15分ぐらいで戻るから、その間に秘密の話でもしときなさい」

 帆高の握ったままの手を見ながら、幸世がニタリと笑む。それでも離すつもりはない。

「…その発言に、いくつか突っ込み所があると思うんですけど」

 脳天に甲が下向きの拳骨が落ちた。手根骨が地味に痛い。

「うっさいわね。ブツクサ言ってないで、人の気遣いはありがたく受け取っときなさいよ。珠結、お願いね」

 「帆高への態度見てると、さっちゃんはツンデレっぽいわね」テレビで若者言葉を取り上げた特集を見た母が、煎餅片手に唐突に言っていた。はっきりした定義は知らないが、何となくそうかもなと思っていた。

彼女は誰に対しても強気な態度で荒っぽい言葉を用いる。それが娘であってもだ。嫌な人間――会社の上司? 呪い殺しかねない雰囲気で電話していたのを見たことがある――には強烈だが、娘の珠結には声の柔らかさと愛情ゆえの優しい言葉が織り込まれる。

 自分は嫌われてはいない、とは思う。一見高圧的な言葉そのものや節々に、自分を思うがための顧慮が含まれている。自分にはツン、珠結にはデレ要素が両極端で多めなのだろう。

 大学では敵無しと思われていても、幸世と自分の母には適わない。二人共、類は友を呼ぶな具合の気が強い者同士だ。自分のこの性格は、彼女らの影響によって築かれたのではないかと思う。幸世の不機嫌そうな背中を見送って、帆高は一人言ちる。

だとしたら、憎からず思っている塚本や大学の連中への態度はいかがなものか。ツンの中に潜むデレ? ダメだ、その先を考えたら舌を噛み切りたくなりそうだ。

「…珠結?」

 握っていた手がふいに引っ込められた。ゴソゴソと布が擦れる音がして、珠結が帆高の方へと寝返りを打った。一瞬の期待は閉じられたままの瞼と、一定の深い呼吸音で落胆に修正される。

 どんなに深い眠りについていても、珠結は寝返りを打つことができる。そのため、看護師が床ずれを防ぐために体位変換を行なわなくても良い。仰向けの状態でいるのが大概だが、横向きになっているのも希ではない。

その様子に、大いに安堵する。ただ眠っているだけなのだと。彼女は旅に出ていて、いずれは必ず戻ってくるのだ。今回はいつもより少し長めなだけ。言い聞かせて、今日も彼女の帰りを待っている。

 あの日が最後だったなんて、絶対に認めはしない。
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