あたしが眠りにつく前に
 そしてよりにもよってこの日、埒があかないから迎えに行くとの宣言が電話でなされたという。。危機感を覚えた父は会社を早退して実家に向かい、念のため良いと言うまで家に帰って来るなと母は言った。そのうえ、両親が何度も電話をかけ直すも、一向に繋がらないという。

 普段は毅然としてカカア天下を邁進する母の意気消沈した声は、忘れようにも忘れられない。そんな顔をさせたのは、自分だ。何かできることはと、思いついたのは足止めだった。

 電話には出るなと言われていたため、祖父とコンタクトを取ったことは無い。しかしこっそりと電話のディスプレイに表示された実家の番号を控えていた。今回だけだ。意を決して、その番号を発信する。

「帆高だろう? じいちゃんだ」

 やっぱり、調べ上げていたんだな。登録済みの番号のみの着信許可設定をしておいて正解だった。

 ずっと声を聞きたかった、一目会いたい。などとの同情を引こうとする御託から始まり、両親や伯母夫婦の悪口や長男夫婦への侮蔑のオンパレード。最終的には両親にしてきたであろう、都合よく組み込んだ帆高の将来話や跡継ぎとなるべき心構えを延々と説かれた。

工事現場や選挙カーの何万倍にも値する騒音は、歯が欠けそうなぐらいに歯軋りをするほどの腹立たしさを誘発させた。祖父はこういう人間なのだと前もって聞かされていたではないか。

馬鹿が一人で盛り上がっているだけ、帆高が相槌を打たなくとも独壇場でペラペラと喋る。右から左へ聞き流しているうちに勝手に言ってろと、どうでもいいぐらいに冷静になっていた。

 今日、そっちに行きますから。発した言葉はそれだけだったが、祖父の猫かわいがりの声のトーンが1オクターブ上がった。嬉しそうにそうかそうかと、声を漏らす。勘違いしているが、行くのは父だ。主語を抜いただけで嘘は言っていない。ちょうど家を出る所だったらしく、目的は達成できた。

これなら、行き違いにならないだろう。もう、このくらいでいいか。唐突に通話を切ると、母からも着信が数件入っていた。帰ったら母だけでなく父にも、烈火のごとく叱られるだろう。着信設定を戻すのも面倒なため、電源を落とす。

 思ったよりも、時間がかかってしまった。早く珠結の元に戻らなくては。駆け出した先に、珠結はいなかった。その時はまだ、楽観視していた。もう広場に着いたのだろうと。

広場内を探し回るも、珠結はどこにも見当たらなかった。さほど広くもなければ、見通しも良い。まさか、まだ来ていないのか? 全身から血の気が引き、生まれたての小鹿のように足がガクガクと震えた。

 携帯電話に幾度もかけても出ない。無機質なコール音がリピートされ、伝言を録音するように促される。まさか、珠結の身に何かあったんじゃないか。思わず傍に立っていた木の幹を殴りつけた。

とにかく公園内をくまなく探さなくては。異常なペースで暴れ出す心臓を押さえつけて広場を飛び出すと、反動で逆に止まってしまいそうになった。

 別れた所と同じ位置で、珠結はこちらに背を向けて佇んでいた。茶色の長い髪と車椅子のハンドルにかかった自分の黒の手提げ鞄は遠目でも判断できた。

行き違いになったのでもないし、今までどこにいたのだろうか。まるで神隠しにでもあったかのような。いや、そんなのは後だ、何しろ無事で良かった。安堵のあまり泣きそうになるが、自分がほったらかしにしておきながらと自責する。
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