あたしが眠りにつく前に
自分なんて、全然。眠っていたのもほんの数時間。朝になれば日の光を拝めるし、よく見知った顔ぶれたちと顔を合わせて言葉を交わせる。約束されたような確実が待っていてくれている。
しかし珠結は、その必然のカードを持っていない。空白の時間の長短も愛する人達との再会の可否も、運という名の曖昧な要素が握っている。そんな不安定な日常を、十年以上も味わって繰り返してきた。意志も都合も一切を無視されて、誰も何もいない無の世界に囚われて。
今この時に運が傾いて目覚めて自分を含めた他者が喜んでも、珠結はどうだろうか。知らないうちに二十歳になっていて、何万のもの時間が無駄に流れ去っていて戻っては来ない。
自分が置かれた環境は変わっていないのに、帆高や友人達は新たな環境で日々を過ごしている。一人取り残されたような疎外感と孤独感、そして不確か現状と先の見えぬ未来への絶望。
「ごめんっ…」
俺だけが、普通に生きていて。君に何もできないで、君の戻りたがっている日常を一人堪能して。君が愛した光の下をのうのうと歩いていて。
『あんたの人生は、あんたのものよ。そこに珠結への感情を混同させて、主人公を見失うなんて許さないわよ』
自分が珠結に依存していると見抜いていたあの人は、高校最後の年にそう言い放った。珠結のいる病院と短距離にある大学を検討していたのも知っていてか、釘を刺されたようで心臓を握られた気持ちになった。悩んだ末に教育方針や学習内容・環境など、全ての条件が理想的なこの遠方の大学を選んだ。
珠結が目覚めたら連絡する。受験生なんだから、勉強に集中して会いに来るな。合格して入学した後は、会いに行っていいのは偶数月の第2日曜日のみとの通告。それ以外は現れるな、他に大事な予定がある場合はそっちを優先しろと。
帆高の日常が珠結によって左右されてはならない。彼女の思いは痛い程に伝わってきた。だから異を唱えないで、遠く離れたこの地へやってきた。
今日もまた、彼女のいない世界を生きている。
それでもふと、些細なことで彼女が蘇る。たとえば、学内でブラウンのロングヘアーの学生とすれ違った時。似たような色でも人工物には及ばない。小中高と学校に入学する度に染色を疑われる天然色は、息を呑むほどに艶やかだった。その細さと柔らかさは、嫌になることなく知っている。
たとえば、家庭教師のアルバイト先の小学生の少女の部屋に入った時。彼女は女の子らしくピンクが好きでカーテンやベッドカバーに枕、イスに敷いたクッションなど様々なものを統一していた。とりわけピンクと白のボーダーのペンケースには目が釘付けになった。
彼女のお気に入り飲み物のパッケージと同じ、甘い柄。幸せそうに飲み干す笑顔を思い出して言葉を失い、部屋の主である小さな持ち主が不思議そうに見つめていた。
日常のなんとも珍しくもない小さなことでさえ、君を感じる鍵となる。
しかし珠結は、その必然のカードを持っていない。空白の時間の長短も愛する人達との再会の可否も、運という名の曖昧な要素が握っている。そんな不安定な日常を、十年以上も味わって繰り返してきた。意志も都合も一切を無視されて、誰も何もいない無の世界に囚われて。
今この時に運が傾いて目覚めて自分を含めた他者が喜んでも、珠結はどうだろうか。知らないうちに二十歳になっていて、何万のもの時間が無駄に流れ去っていて戻っては来ない。
自分が置かれた環境は変わっていないのに、帆高や友人達は新たな環境で日々を過ごしている。一人取り残されたような疎外感と孤独感、そして不確か現状と先の見えぬ未来への絶望。
「ごめんっ…」
俺だけが、普通に生きていて。君に何もできないで、君の戻りたがっている日常を一人堪能して。君が愛した光の下をのうのうと歩いていて。
『あんたの人生は、あんたのものよ。そこに珠結への感情を混同させて、主人公を見失うなんて許さないわよ』
自分が珠結に依存していると見抜いていたあの人は、高校最後の年にそう言い放った。珠結のいる病院と短距離にある大学を検討していたのも知っていてか、釘を刺されたようで心臓を握られた気持ちになった。悩んだ末に教育方針や学習内容・環境など、全ての条件が理想的なこの遠方の大学を選んだ。
珠結が目覚めたら連絡する。受験生なんだから、勉強に集中して会いに来るな。合格して入学した後は、会いに行っていいのは偶数月の第2日曜日のみとの通告。それ以外は現れるな、他に大事な予定がある場合はそっちを優先しろと。
帆高の日常が珠結によって左右されてはならない。彼女の思いは痛い程に伝わってきた。だから異を唱えないで、遠く離れたこの地へやってきた。
今日もまた、彼女のいない世界を生きている。
それでもふと、些細なことで彼女が蘇る。たとえば、学内でブラウンのロングヘアーの学生とすれ違った時。似たような色でも人工物には及ばない。小中高と学校に入学する度に染色を疑われる天然色は、息を呑むほどに艶やかだった。その細さと柔らかさは、嫌になることなく知っている。
たとえば、家庭教師のアルバイト先の小学生の少女の部屋に入った時。彼女は女の子らしくピンクが好きでカーテンやベッドカバーに枕、イスに敷いたクッションなど様々なものを統一していた。とりわけピンクと白のボーダーのペンケースには目が釘付けになった。
彼女のお気に入り飲み物のパッケージと同じ、甘い柄。幸せそうに飲み干す笑顔を思い出して言葉を失い、部屋の主である小さな持ち主が不思議そうに見つめていた。
日常のなんとも珍しくもない小さなことでさえ、君を感じる鍵となる。