あたしが眠りにつく前に
 人間というのは薄情なもので、どれだけ強く想っていても四六時中ただ一つのことを考え続けることはできない。自分だって、あわただしい日々にもまれて彼女の存在を蚊帳の外に追いやってしまっている。

大学の勉強やサークル活動、家事や生活費を稼ぐためのアルバイトに追われて慌しく流れていく一日一日。新たな友人や先輩後輩など人間関係の輪はグンと広まった。その中で過ごす空間と時間は悪くは無いもので、むしろ楽しいとさえ思っていた。

だけど、心が完全に満たされているのでもなく。心臓の中心に収まるはずの一番大きなピースがはまっていないまま、がらんどうの内部に風が吹き込んで身震いがする。愚かにも願うのは、君がここにいてくれていたらということ。

 昼間にいかに充実した時を過ごしていても、ついさっきまで友人と取るに足らないことを話して笑っていても。ベッドに寝転んで天井を見上げれば、ほら。君への罪悪感で息が詰まって、泣きたくなる。いつ目覚めるか分からない、もう明日は来ないかもしれない。すすんで布団の上に横たわるのを恐れていただろう彼女を思えば。

 適度な時間の後で目を覚まして、必ず真っ先に見上げる同じ景色。目を擦ればクリアに色付く。目の前のそれに戻って来られたんだと息を吐いて、愛する人達との再会を願う。同じ景色と同じ行動なのに、自分と彼女にとっては天と地ほどの価値の差が広がっている。

 君はどんな思いで、光と闇の世界を行き来していたのだろう。こうしてふと真夜中にハッと目覚めた時も、君を想って惑い苦しむ。

君に逢いたい、君の声を聞きたい。あの無邪気な笑みを向けてほしい。こんなふがいない姿を見たら「しっかりしてよ」と頬を膨らませる。自分を想うが故にと知れば、相変わらず「自分のせいで」と自分を責めて憂いを帯びた顔をするだろう。

彼女の全ての表情が懐かしくて、遠い。同時に望むだけで何もできない、この身が腹立たしくて憎らしい。

 携帯電話のランプは無点灯。サブディスプレイには日時と電波状況のアンテナと電池残量を示すピクトしか表示されていない。

何かあったら連絡する。それが良くも悪くも、必ず。あの人はそう、約束してくれた。個別で着信音を設定し、ひたすらにそのメロディが流れるのを待っている。

そして、恐れてもいる。事実、鳴ったならば、果たしてどちらなのか。来るなら吉報だと信じられずにいるのは、己の心の弱さのためか。鳴り響いた着信音に、別の音だと分かって落胆するも心の片隅では安堵してさえもいる。そんな臆病者など、神も仏も嘆かわしく思っているだろう。

 今日こそは、鳴るだろうか。懇願して脅えながら、また敷布団に背中を預けて目を閉じる。呼吸はだいぶ楽になってきた。いつしか鼾は止んでいたが、単調な寝息が聞こえてくることにホッとする。

 大丈夫。まだ、大丈夫なんだ。君は今はいなくとも、‘いる’のだから。朝が来て目を開いた先に広がる日常で、笑っていられる。普通を装って、一日をスタートできる。

君がいる地上を歩いていける。



 ***



 光陰矢の如し、時は瞬く間に流れる。アルバイトをやめて積極的に参加していたサークルにも足が遠ざかり、代わりにゼミの卒論や資格勉強に教職課程、ささやかな就職活動が帆高の精神と肉体とスケジュール帳を占領していた。

 秋には教育実習を控え、目が回って血を吐ける程に混沌めいたある夏の日の午後。1本の着信が帆高の携帯電話に入った。

流れた着信音と留守番伝言の録音を促すメッセージが再生される最中でディスプレイに表示された発信者の名前は、帆高が約4年ぶりに見聞きしたであろうものだった。
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