あたしが眠りにつく前に
「これは…」

 帆高の唇は戦慄いて、信じられないというばかりに目を瞬かせていた。その目は、もはや別人のものだった。全てを失い、傷つき切って絶望した目。光が、見えない。特定の人物を想う度に激しく燃えていた、あの光が消えかけてしまっていた。

 帆高は手元を凝視する。その手は小刻みに震えてカードを落としてしまいそうなぐらいだ。眩しいまでのカードの黄色が帆高の双眸を釘づけて離さない。

「それがあの子の、覚悟よ。そのことは手紙に書いてあるわ。ちなみにそれは2枚目。1枚目は娘から母への個人的な内容。親子だけの秘密ってことで、あんたには見せないけど」

「珠結は…こうなることを予想して…?」

「それは、あの子にしか分からないわ。確証だったのか、保険だったのか。まずは、読んでみなさいよ」

 カサリ。便箋を開くと勉強会などで見慣れた珠結のこじんまりとした字の羅列が顔を見せた。筆圧は若干弱いものの、これを書いた時はまだ問題なかったようだ。

足だけでなく手までもと、だいぶ後になって知らされた。今回は自分だけが蚊帳の外だったのかと、呆れてしまった。あの日言うつもりだったのよ、あの子。と幸世に苦笑交じりで付け加えられた。

もっと早く言ってくれていれば、もっと配慮できて尚更置いていくことなんてなかったのに。とはいえ、遅すぎる。現在、それを責めることも謝られることも二度と有り得ない。

 過去の残像を振り切り、帆高は手紙を目を通した。

文章は意外と短く、気持ちを表した言葉は最低限に抑えられているかのような印象を受けた。字全体はまるで焦っているかのように、やや乱れていた。睡眠発作が始まらないうちにに書き上げるつもりだったのだろうか。

「半年前に見つけたのよ、それ。学習机の引き出しの奥の方にしまってあったわ。すぐには見つからないようにって警戒してたのね、きっと」

 やはり秘密の手紙として、珠結は今の思いを残しておこうと手紙を書いたのだ。内容として、書いてる最中に寝落ちしてバレてしまう訳にはいかなかった。半分読んだところで、帆高にも予想がついた。

珠結にとっては、絶対に負けられない一大勝負だった。そして、無事に勝った。よって、追及されることも咎められることもなく、珠結は思いを一方的に押し付けることに成功した。

 短い手紙を読み終えると、帆高は顔を上げた。その目に、幸世は思わず口元を緩めた。凍てついているが、そこにある。氷のように冷たくて刺されそうな鋭い光が。

「まさか…珠結の言うとおりにするつもりじゃないでしょうね」

「愚問ね。応えるに決まってるわ、あの子の願いだもの。それが嘘偽りのない珠結の本心だって気づいてるからには、当然よ。娘のささやかな望みを踏みにじるような母親じゃないわ、これでも」

「だからって、どうして珠結が犠牲にならなくちゃいけないんですか! 名前も顔も分からない赤の他人のために、珠結が死ぬことなんてないでしょう!?」

 帆高の瞳の奥では怒りの炎が燃え上がる。ああ、その方がずっといい。生きながら死んでいるような、がらんどうな無機質な目なんかよりも。声も表情も、生きているのだとまざまざと相手に思い知らせてくる。
< 235 / 284 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop