あたしが眠りにつく前に
「…ああ、俺って本当に最低ですね。結局は自分のことしか考えていない。珠結がそう望むんならって、尊重するべきだと頭では分かってるつもりなんです。珠結は長い時間、洒落にならないぐらい多くのものを抱えて我慢してきた。解き放つと言いますか、自由にさせてあげるべきだと思います。最後の最後ぐらい、睡魔に邪魔されないで珠結の意思を貫かせてやりたい」

 でも。帆高は言葉を区切り、大きく息を吸った。

「それでも、繋ぎ止めたい。終わらせるのではなく、終わるのを待ちたいと望むのは罪でしょうか」

 廊下から足音がして、遠ざかっていく。完全に聞こえなくなっても、二人は無言のままだった。アクションを起こしたのは、幸世だった。窓際に移動すると、ガラスの向こうの空を見上げる。皮肉なまでに、今日は青が眩しいまでの晴天だった。

珠結もベッドに横たわりながら、空を眺めていた。そっと手を伸ばし、空を掴む。決して届かぬ色を、光を。焦がれるような眼差しで仰いでいた。

 幸世は珠結と似ていないと言っているが、その後姿はシンクロして重なった。見目形ではなく、雰囲気が。やはり、血の繋がった親子なのだ。

 「もしも」幸世が窓ガラスに手を置いた。

「珠結の手紙が残っていなかったら、あたしも繋ぎ止めようと思ってた。あんたの言うように、1%以下の確率に賭けて奇跡ってものを信じてみるつもりだった」

 そのためなら、何だって。幸世の言うとおり、彼女はこれまでにも何だってやってきた。珠結が病院から出られなくなって暫くの後、彼女は病院近くの土地に住居を移した。

病院と自宅からそう距離の離れていない職場を探して転職もした。正社員で月給もなかなか、その代わり拘束時間が長く休みは週に1度あるかないか。

 珠結への面会も難しくなった。それでもやむをえない。本当なら、地元に戻って自宅で珠結の面倒を看たかった。帰りたい。娘の無言の願いに応えたかった。

しかし幸世には頼れる親戚がいなかった。ペットの世話ではあるまいし、娘の病を鑑みれば知人に気安くおいそれと任せられるものではない。

 生きるためには金がかかる。珠結を看護するには付きっ切りで、仕事はやめざるを得ない。とはいえ、その生活費を稼ぐのは幸世しかいない。貯金はそんなに残っていない。

ヘルパーなどに頼もうにも、やはりかなりの金額を要する。また珠結の眠り病は正体不明、何が起きたっておかしくはない。急に呼吸が、心臓が止まるかもしれない。ならばやはり、病院に留まらせるのが最善策だ。

 入院費等の経費は莫大で、それを幸世はたった一人で用立ててきた。転居する前、何度も過労で調子を崩し、病院に通っていたと帆高は電話口で母から聞いた。

「頼ってくれればいいのに」母は嘆いていたが、それは難しいだろうと分かっていた。負けず嫌いで、弱みを絶対に見せるような人ではない。こんなところも、娘に受け継がれた悪い性質だ。帆高も幸世の涙も弱音も、一度たりとも見聞きしたことはなかった。

 だから彼女の言葉も事実で、有限実行に違い無かったのだ。生命維持のためには、益々膨大な予算が必要となっていく。それでも幸世は躊躇せずに、何とかしようとする。仕事を増やし、それこそ不眠不休で働きづめる。僅かな出費も抑えるために、より一層に食事や最低限の必要経費を制限しようとするだろう。

壊れるかもしれない、いや壊れるわけにはいかない。自分にしかできないのだから。全て、愛する珠結(むすめ)のため。何だって、できるのだ。
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