あたしが眠りにつく前に
 珠結の顔が一瞬強張り、ノブを握る手に力が入った。が、すぐにいつもの表情に戻して
ドアを開く。

「大丈夫ですよ。そうなるのは、まだ…ずっと先の話ですってば」

「でも……」

「では、失礼しますっ!」

 珠結は早口に告げてから部屋を出て、ドアにもたれ掛かった。

「ずっと先…そうに決まってる」

 そうでなくては…困る。珠結は自身に言い聞かせるように小さく呟くと、待合室に向かって来た廊下を歩き始めた。


………―――

「先生、次の患者さんを…どうなさいました?」

 看護師が歩み寄る先で、医師は机に肘をついて手で顔を覆っている。

「…私はなんて無力なんだろうね」

「…え、先生? 何かあったんですか?」

 医師は顔を上げないまま看護師の問いに答えず、抑揚の無い声で言葉を続ける。

「私は長いこと医者としてその任務を果たしてきた。診てきた患者はもう数知れない。だからこそ自分にそれなりの自信があった、誇りがあった。だが今は…たった一人の少女にもう何年も重荷を背負わせたままでいる…。あの子は本当に優しい子だ。ずっと私を信頼し続けて、笑顔を見せてくれる。それなのに…」

「先生……」

 一刻も早く完治させて、心の底からの笑顔を見たいのに。それを叶えられないもどかしさを悔しげに吐き出すしかできない。

「…あぁ、すまないね。次の患者さん、呼んできておくれ」

 その顔にはまだ悲しげな歪みが貼りついている。看護師はこのベテラン医師が尊敬に値する人物であることを知っている。自信を失いかけている彼の姿により切なさを覚え、彼女は早足で診察室を出た。

 窓の隙間から吹き込む風が医師にはやけに冷たく感じられた。年のせいだけではあるまい。

冬が―――やって来る。
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