あたしが眠りにつく前に
 傷やニキビの跡一つ無い、白い額の中央。口のチューブに妨げられたためではない。妥協ではなく己の意思で選んだ。

友情の、キス。自分達に一番ふさわしいだろう。親友として親愛の思いを込めて。

 自分はともかく、珠結は親友なのだと断言した。親友は唇にキスなんてしない。何をしたって、分からないだろう。悪魔の囁きが聞こえた気がしたが、あいにく理性は失っていなかった。

いや、習性なのだろう。彼女に嫌われることは、できない。チューブが無くとも、そうしていた。それでも男か? 知ったことか、珠結が求めるのは親友としての一之瀬帆高なのだから。

 そして、祝福のキスでもある。

残される者達にとっては哀別だが、本人にとっては新たな門出なのだ。いくつもの新たな人生のスタートを控えている。永峰珠結(じぶん)に別れを告げることになっても、無の世界を無限に彷徨うのに比べればと思ったのだろうか。

進むからには、どうか。いずれの未来も君達が幸せであるように。無意味な眠りにつかないように。この世界の、どこかで。

「……っああ!!」

 ああ、本当は。偽善だ、こんなのは。

願わくは、この手で君を幸せにしたかった。自分以外の人間と幸せになる君の姿など見たくないほどだった。だからこそ、縛り付けていたぐらいであって。そんな罪深い自分への制裁なのかもしれない。

 たとえ、道ですれ違ったとしても君に気づくことは無い。珠結(きみ)では無くなっているのだから、その人に特別な感情を抱くことなく過ぎ去ってしまう。

想うのは、永峰珠結そのものなのだから。欠片だけでは足りなさ過ぎる。

 こんな欲深く、愚かな人間など選ばれるはずがなかった。だけれども、振り向いてほしかった。

友情ではない、愛が欲しかったんだ。

 涙は出なくとも、慟哭はできる。気狂いの夜、腕の中で感じた熱いほどの熱と、背中に回された腕の感触がどうしようもなく恋しかった。

 夕方のサイレンが鳴っても、空に一番星が輝いても、月が雲に隠れて闇に沈んでも。日付が変わっても一向に、看護師を除いて二人のいる病室を訪れる者はいなかった。
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