あたしが眠りにつく前に
 神も仏もいやしない。幼い自分…サンタクロースを信じていた、まだ純粋だった稚園児時代は酷過ぎるか。信仰心の篤かった祖母の昔話を膝を抱えて耳を傾けていた頃もパスだ。となると、中学生になった直後の自分に言ってやりたいものだ。
 
 奇跡なんて、起こらない。たとえどれほど強く願って誓い続けても、彼らは聞きとげてくれなかった。いい年になっても馬鹿みたいに必死になってと、雲の上から嘲笑っていたのかもしれない。

そんな捻くれた想像をするぐらいなら、やはり最初からいないのだと結論付けた方がいいだろう。滅多に頼ることも無かったが、もう信じないのだから直の事この先関わることもない。

 だから、そんな自分が今からあの場所に向かうのはおかしいのだとは思う。あくまでも一種のけじめとして、さっさと立ち去るつもりだ。

「どこに行くの?」

 玄関でスニーカーの紐を結んでいると、母に声をかけられた。時刻は5時45分、寝巻き姿の母はどこか不安げに顔を曇らせていた。早朝の外出についてだけでなく、数時間後のことも合わせて気にしているのだろう。

「ちょっと、そこまで。朝食までには戻るよ」

「…眠れなかったの?」

「そんなことない。ただ、早く目が覚めただけ。行ってくる」

 帆高は薄く笑って、ドアノブを回して外に出た。ひんやりとした空気が頬を刺す。新聞配達のバイクの音が遠ざかっていく。

 今日は大切な用事がある。その前に出かけようとは決めていたが、こんな早くに家を出る予定ではなかった。母の言葉通り、目覚めが早かった。二度寝しようにも、目が冴えてそのまま起きてしまうことにした。

その原因が用事に関係しているのは、誤魔化すまでもなく。用事に参加する母も同じらしい。いつもの母なら、もっと遅くに起きてくるのだから。

 出勤するサラリーマンや犬を散歩させる人とすれ違いながら、帆高は早めの歩調で住宅街を抜ける。澄んだ空気は肺を、茂る木々の彩りは視覚を満たす。

 目的地に到着した帆高は、思わず目を擦った。久方ぶりに訪れるものの、通いなれた道のりを歩いてきた。間違えたはずが無い、周囲の風景は以前のままだ。しかし目の前の風景だけが、一変していた。

生い茂っているはずの雑草は綺麗に刈り取られ、周辺の石造の置物は丹念に磨かれていた
。装飾も新しいものに付け替えられている。見上げて地名を確認すれば、確かにここなのだ。

 ボランティアの厚意か業者にでも頼んだのだろうか。自分の知る限り、こんなことは初めてだ。かなり骨の折れたことだろう。上から目線を承知で、感心してしまう。見たところ、ごく最近行なわれたようだ。

 そびえる石段をひたすらに登る。半ばまで来て息が乱れ出すのは、運動不足か日頃の疲労が溜まっているせいか。二十歳になって一年越えたばかりだ、年齢のせいにするには早すぎる。

寮の周囲でも走るべきかと思うも、時期的にも時間にそんなゆとりがないのが現状だ。アルバイトさえ減らしたぐらいで、大学や寮にて昼夜を問わずPCや参考書を前に机に張り付く毎日が帆高を追い越していく。

 卒業のための単位は、ゼミなどの必須教科を除けば取得済みだ。出席も成績も授業態度も、教授が眉を顰めるようなヘマは冒していない。現在受けている授業も、試験さえ受ければ確実という体だ。

卒業自体は心配していない。それよりも帆高が頭を悩ませているのは、将来のことだった。教職課程を受けているが、一方で公務員試験対策の課外にも出席している。そのうえ一般企業への就職も頭に入れており、就職活動のガイダンスや説明会の参加、エントリーシートと自己PRと面接対策の熟考も忘れない。
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