あたしが眠りにつく前に
「おや、君は…」

 丸メガネの下の、典型的な日本人顔。泥棒にしては年を食いすぎた、白髪頭とくっきりとしたほうれい線と目尻や額の皺。人好きのする、柔らかな雰囲気と顔立ち。彼は、違う。帆高はついさっきまでの自分を恥じた。

決定的なのは、右手のはたきと左手の雑巾。彼は目を丸くして、帆高を見下ろしていた。

「その、驚かせてすみません。てっきり…。ここで人を見るのは、滅多になかったものですから」

 気まずげに目を伏せた帆高に、彼は穏やかに笑いかけた。

「いえいえ、変に思われるのも無理もありません。人どころか野良犬さえ寄り付かない寂しい場所で、こんな朝早くに社の中でゴソゴソしていたら誰だって不審に思うでしょう。君は若いのに、早起きですね」

「ええ、まあ。失礼ですが、あなたは、ここの関係者の方ですか?」

「この神社の管理者です。とはいえ、まともな管理などしてはいませんでしたが。お恥ずかしいことに、従来の不摂生がたたって長らく患っておりました。県外の病院からは、二月程前に戻ってきました。言い訳がましいですが、なかなかこちらに来られずに神社が荒廃していくのを放って置いてしまって。神様にも地元の方々にも、大変申し訳ないことをしてしまいました」

 それで合点がいった。神社全体が顔に見覚えがなく、会ったことも無いはずだと帆高は思った。彼は笑いながら話してはいるが、実情はかなり深刻ではなかったのだろうか。頬だけでなく、全体的に痩せこけている。

語尾が過去形であるからには、もう体は大丈夫なのだろうか。ぜひとも、そうであってほしい。

「それは、大変でしたね。病み上がりの上に早くから、ご精が出ますね」

「年寄りは朝が早いですし、家もすぐ近くにあるものでしてね。少しでも早く綺麗にして差し上げなくてはと、こうして。到底、自分の不干渉を償えるとは思っていませんが」

「良かったら、少しばかりお手伝いします。掃き掃除でも…」

「いや、結構ですよ。それより、その。違っていたら申し訳ないんだが、もしかして君ですかな。私がいない間、ここを守ってくださっていたのは」

 道具を取りに行こうとした帆高を制し、彼はやや腰を曲げて段階をゆっくりと下りてきた。彼の言葉に、帆高は表情をこわばらせた。

「以前、地元の知人から話を聞いていたものでして。その彼も数年前に、この世を去ってしまいましたが。何でも誠実そうな青年がよく神社を訪れて、参拝だけでなく境内の清掃も行なっているのだと。それは、君のことでは?」

「…若い男なんて、いくらでもいるでしょう。どうして俺だと思うんですか?」

「見るからに、君には誠実の言葉が似つかわしいと思いました」

「…それだけで、ですか?」

「もちろん、それだけじゃなくて。君は今、道具を取りに行こうとしましたね。私に在り処を聞かないまま。そして迷わず林の中に視線を向けていました。ここからでは、倉庫など見えませんのに。君はまるで、元から知っているような。それにさっき、『人を滅多に見なかった』と言いましたね。それは、しょっちゅう訪れてくださる人にしか言えませんよ」
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