あたしが眠りにつく前に
「君の、おばあ様ですか? では、そのお孫さんというのが」
「俺、だと思います。こんなことって、あるんですね」
「初めて彼女にお会いして私がここを離れる2年間、毎朝必ずいらっしゃっていました。ああ、言われてみれば口元の辺りが似ておられますね」
「両親や親戚に言われたことがあります。他人の目から見ても、面影ありますか」
どうせなら、優しげな目元を受け継ぎたかった。なぜか両親にも親戚の誰にも似ていないパーツ。あの忌まわしい人物を引き合いに出せば、ある意味これで良かったのかもしれない。
「祖母の口から直接聞いたことはありませんが、両親は祖母の死の直後に語ってくれました。俺は先天的な障害を持って生まれて、生後数ヶ月で2回大きな手術を受けました。命に関わる大きな手術で、術後もいつ容態が急変してもおかしくなかったそうです」
当然その時の記憶は無く、手術の跡は残っておらず自覚も無い。だから初めて聞いた時は、まるで他人事のようにしか思わなかった。両親がやけに姉よりも自分を気にかけている理由も納得した。
祖母が晩年に繰り返していた昔話の母親、それは彼女自身のことだった。痴呆のせいで記憶が混濁し、自分の続柄や孫を息子と変換してあたかもよそ様の話であると認識していた。
「すごいね、そのお母さん」率直な感想に照れくさそうにしていたのも、「元気に育ってくれて良かった」と涙を零したのも、感情移入によるものではなかったのだろう。
ぼやけた記憶のを掻い潜って浮き上がってきた、確かな感慨。その時ばかりは、彼女は戻って来てくれていたのだった。そう思い至った数年前の帆高の目からも、涙が流れた。
広くて深い、強い意志をもって愛されていた。彼女の願いは届き、自分は五体満足の健康体でこうして大地を踏みしめている。命の危機にさらされていた過去の名残は、どこにもない。
生きている。この、自分だけが。
「俺がここに通い詰めたのは、祖母の影響が大きかったのでしょう。俺自身が、良い実例でしたから。ここで願えば大丈夫なのだと、祖母のように強く誓えば絶対に叶うのだと。科学的根拠もないのに、子供ながらに信じ切っていたんです」
「君は私が思うよりも遙かに多く、重いことを誓ってきたのでしょうね。…後悔は、していますか」
「していません。それでは、今までの自分を否定することになりますから。俺はそこまで強くはありませんしね。それができたら、潔いでしょうけど」
珠結が階段から落ち、生死を彷徨いかけたと知らされた中学1年生の夏の夜。まざまざと思い知らされたのは、世界の終わり。彼女が、いなくなる。気がついたら喘息のような歪な呼吸であえいでいた。
眠り病(あれ)のせいで、珠結は消えかけた。死と直接結び付けていなかったのは帆高も同じで、珠結に絡みつく煩わしい存在は恐怖の根源であったのだと打ちのめされた。
珠結を守りたい。しかし楯突く相手は珠結の体に巣食う正体不明の病であり、医者ですらない帆高にはどうにもならなかった。そんな時に思い浮かんだのが、祖母の語りだった。
願掛け。自分は無力だから、非科学的で超越した力に助けを求めるしかない。思いついたときには、走り出していた。
本殿の前で願いしことは、血の由縁からか。
‘どうか、珠結が眠り病から解放されて、幸せに生きていけますように’
叶うなら、何だって成し遂げてみせるつもりだった。意思表明として、まずは好きなものを断つ。小学校時代から一筋に打ち込んでいたサッカー、レギュラーを打診されていたが迷いなどなかった。
それだけで願いが叶うとは思っていない。最低限払うべき対価にすら含まれない利子のように瑣末なことで、珠結と天秤にかけたらその程度にしか過ぎなかった。珠結が気に病むほど、帆高には重要ではなかったのだ。
「俺、だと思います。こんなことって、あるんですね」
「初めて彼女にお会いして私がここを離れる2年間、毎朝必ずいらっしゃっていました。ああ、言われてみれば口元の辺りが似ておられますね」
「両親や親戚に言われたことがあります。他人の目から見ても、面影ありますか」
どうせなら、優しげな目元を受け継ぎたかった。なぜか両親にも親戚の誰にも似ていないパーツ。あの忌まわしい人物を引き合いに出せば、ある意味これで良かったのかもしれない。
「祖母の口から直接聞いたことはありませんが、両親は祖母の死の直後に語ってくれました。俺は先天的な障害を持って生まれて、生後数ヶ月で2回大きな手術を受けました。命に関わる大きな手術で、術後もいつ容態が急変してもおかしくなかったそうです」
当然その時の記憶は無く、手術の跡は残っておらず自覚も無い。だから初めて聞いた時は、まるで他人事のようにしか思わなかった。両親がやけに姉よりも自分を気にかけている理由も納得した。
祖母が晩年に繰り返していた昔話の母親、それは彼女自身のことだった。痴呆のせいで記憶が混濁し、自分の続柄や孫を息子と変換してあたかもよそ様の話であると認識していた。
「すごいね、そのお母さん」率直な感想に照れくさそうにしていたのも、「元気に育ってくれて良かった」と涙を零したのも、感情移入によるものではなかったのだろう。
ぼやけた記憶のを掻い潜って浮き上がってきた、確かな感慨。その時ばかりは、彼女は戻って来てくれていたのだった。そう思い至った数年前の帆高の目からも、涙が流れた。
広くて深い、強い意志をもって愛されていた。彼女の願いは届き、自分は五体満足の健康体でこうして大地を踏みしめている。命の危機にさらされていた過去の名残は、どこにもない。
生きている。この、自分だけが。
「俺がここに通い詰めたのは、祖母の影響が大きかったのでしょう。俺自身が、良い実例でしたから。ここで願えば大丈夫なのだと、祖母のように強く誓えば絶対に叶うのだと。科学的根拠もないのに、子供ながらに信じ切っていたんです」
「君は私が思うよりも遙かに多く、重いことを誓ってきたのでしょうね。…後悔は、していますか」
「していません。それでは、今までの自分を否定することになりますから。俺はそこまで強くはありませんしね。それができたら、潔いでしょうけど」
珠結が階段から落ち、生死を彷徨いかけたと知らされた中学1年生の夏の夜。まざまざと思い知らされたのは、世界の終わり。彼女が、いなくなる。気がついたら喘息のような歪な呼吸であえいでいた。
眠り病(あれ)のせいで、珠結は消えかけた。死と直接結び付けていなかったのは帆高も同じで、珠結に絡みつく煩わしい存在は恐怖の根源であったのだと打ちのめされた。
珠結を守りたい。しかし楯突く相手は珠結の体に巣食う正体不明の病であり、医者ですらない帆高にはどうにもならなかった。そんな時に思い浮かんだのが、祖母の語りだった。
願掛け。自分は無力だから、非科学的で超越した力に助けを求めるしかない。思いついたときには、走り出していた。
本殿の前で願いしことは、血の由縁からか。
‘どうか、珠結が眠り病から解放されて、幸せに生きていけますように’
叶うなら、何だって成し遂げてみせるつもりだった。意思表明として、まずは好きなものを断つ。小学校時代から一筋に打ち込んでいたサッカー、レギュラーを打診されていたが迷いなどなかった。
それだけで願いが叶うとは思っていない。最低限払うべき対価にすら含まれない利子のように瑣末なことで、珠結と天秤にかけたらその程度にしか過ぎなかった。珠結が気に病むほど、帆高には重要ではなかったのだ。