あたしが眠りにつく前に
珠結の病への干渉が叶わなかったのは、はがゆくてならなかった。代わりに何ができる? 考えた末に、渋々と心を決める。珠結のために何もできないのなら、自分のために行動しよう。
全ての点において完璧になって、あらゆることから珠結を守り支えよう。いつでも側にいて、彼女の笑顔を絶やさないように。自己満足だとしても、他に案を見出せなかった。
「もういい年ですから全ての願いが叶うことはないのも、世界は薄情なんだとも身に染みています。でも、嫌気が差してしまったんです。微笑んでくれなかった神様に、冷淡に流れていった時間に…無力だった自分にも」
依然、微笑を浮かべて帆高の言葉に相槌を打っていた。手にしていた雑巾を畳んではたきと共に片手に収め、管理者の彼は両腕を後ろに回す。
「君は、やはり誠実な方ですね」
話の流れからして、そんな麗句はふさわしくないのに。まさか、と帆高は食い下がって背の低い彼に目を合わせる。
「どこがです。あなたの尊ぶ神様を、この神社を否定したんですよ。よりもよって、ここで。軽蔑したのではないのですか」
「いいえ。だって、君は放棄したではありませんか。いないとみなすことで、憤りをぶつける相手を無くす。誰も怨まず憎まず、君の心の中だけに留めておこうとする。それはとても、苦しいことでしょうに」
「そんな優しい考えなんかじゃありません。むしろ、殺したんです。元々いると信じていたものを後になって無いものだとみなすのは、そういうことでしょう」
「神様は生き物ではありません。生と死を司り、見守る立場にあります。神様ご自身に生死の概念は通用しない、私はそう思っています。だからあなたの‘殺す’という表現も適切ではないとも思います」
彼は咎めも怒りもせず、静かに諭すように帆高の目を覗き込む。そこそこの時間をたち続けているというのに、座りたがる素振りは見受けられない。
「この国、日本はとても奇妙な国です。国民の9割以上が仏教徒といわれていながらも、クリスマスやら今流行のハロウィン? でしたかな。他国の思念や異教の神々にまつわる慣習を喜んで日常に受け入れて楽しんでいます。私はそれは決して悪いことだとは思いません。仏教では八百万の神々が存在し、石といった無機物にさえ宿っているとも信じられています。異教のイエス・キリストもその大勢の中の一人に過ぎません。今の日本では、キリスト教の信者の方を仏教徒の方々が迫害することはありませんね。何を誰を信じるかは自由、そのおおらかさはひどく心地よくて丁度良いものです。一つの考え方に縛られるよりも、よほど」
「信じないのも、自由でしょうか」
「定義は難しいですが、無宗教という考え方もありますね。それも、自由でしょう。ただ様々な宗教色が入り混じっていながらも、根付いてしまって覆せないものも多々あります。たとえば、結婚式やお葬式。この二つは伝統や常識という名目で形式が定まっています。このときばかりは、宗教に無関心であるわけにはいきません。象徴であるのですから。普段はいないとみなしていても、この時ばかりはいるものだという前提で向き合わなければならない。そうであらねばと、促される。君は、耐えられますか」
「…その時にならないと、分かりません。諦めるか、形だけだと流してしまうか。割り切れるのか、言い切ることはできません。でも今は、信じたくない気持ちに変わりはありません」
その答えは、もうすぐ出すことになる。腕時計を見やると、もうすぐ7時に指しかかろうとしていた。随分と、話し込んでいたようだ。今日初めて会った、自分の年齢の3倍は越えているだろう老齢の男性を相手に。
全ての点において完璧になって、あらゆることから珠結を守り支えよう。いつでも側にいて、彼女の笑顔を絶やさないように。自己満足だとしても、他に案を見出せなかった。
「もういい年ですから全ての願いが叶うことはないのも、世界は薄情なんだとも身に染みています。でも、嫌気が差してしまったんです。微笑んでくれなかった神様に、冷淡に流れていった時間に…無力だった自分にも」
依然、微笑を浮かべて帆高の言葉に相槌を打っていた。手にしていた雑巾を畳んではたきと共に片手に収め、管理者の彼は両腕を後ろに回す。
「君は、やはり誠実な方ですね」
話の流れからして、そんな麗句はふさわしくないのに。まさか、と帆高は食い下がって背の低い彼に目を合わせる。
「どこがです。あなたの尊ぶ神様を、この神社を否定したんですよ。よりもよって、ここで。軽蔑したのではないのですか」
「いいえ。だって、君は放棄したではありませんか。いないとみなすことで、憤りをぶつける相手を無くす。誰も怨まず憎まず、君の心の中だけに留めておこうとする。それはとても、苦しいことでしょうに」
「そんな優しい考えなんかじゃありません。むしろ、殺したんです。元々いると信じていたものを後になって無いものだとみなすのは、そういうことでしょう」
「神様は生き物ではありません。生と死を司り、見守る立場にあります。神様ご自身に生死の概念は通用しない、私はそう思っています。だからあなたの‘殺す’という表現も適切ではないとも思います」
彼は咎めも怒りもせず、静かに諭すように帆高の目を覗き込む。そこそこの時間をたち続けているというのに、座りたがる素振りは見受けられない。
「この国、日本はとても奇妙な国です。国民の9割以上が仏教徒といわれていながらも、クリスマスやら今流行のハロウィン? でしたかな。他国の思念や異教の神々にまつわる慣習を喜んで日常に受け入れて楽しんでいます。私はそれは決して悪いことだとは思いません。仏教では八百万の神々が存在し、石といった無機物にさえ宿っているとも信じられています。異教のイエス・キリストもその大勢の中の一人に過ぎません。今の日本では、キリスト教の信者の方を仏教徒の方々が迫害することはありませんね。何を誰を信じるかは自由、そのおおらかさはひどく心地よくて丁度良いものです。一つの考え方に縛られるよりも、よほど」
「信じないのも、自由でしょうか」
「定義は難しいですが、無宗教という考え方もありますね。それも、自由でしょう。ただ様々な宗教色が入り混じっていながらも、根付いてしまって覆せないものも多々あります。たとえば、結婚式やお葬式。この二つは伝統や常識という名目で形式が定まっています。このときばかりは、宗教に無関心であるわけにはいきません。象徴であるのですから。普段はいないとみなしていても、この時ばかりはいるものだという前提で向き合わなければならない。そうであらねばと、促される。君は、耐えられますか」
「…その時にならないと、分かりません。諦めるか、形だけだと流してしまうか。割り切れるのか、言い切ることはできません。でも今は、信じたくない気持ちに変わりはありません」
その答えは、もうすぐ出すことになる。腕時計を見やると、もうすぐ7時に指しかかろうとしていた。随分と、話し込んでいたようだ。今日初めて会った、自分の年齢の3倍は越えているだろう老齢の男性を相手に。