あたしが眠りにつく前に
「そろそろ、行きます。すみません。初対面だというのに、こんなに話し込んでお時間を取らせてしまって」
「とんでもない。こちらこそ、こんな老いぼれの話し相手をしてもらって。君の事は忘れませんよ。どうか、お元気で。ああ、でもやはりまたお会いしたいものですけどね」
「俺の家も近所ですから、道端で出くわすこともあるかもしれませんね。昔の祖母を知っている方に会えて、俺の方こそ嬉しかったです」
さよなら。決別の意味合いで、社に頭を下げる。たったこれだけが目的だったけじめの儀は、随分と長い散歩になってしまった。では、と彼にも会釈しかけた所で「あらぁ!」と女性の声が背後から飛び込んできた。
犬のリードを引いたジャージ姿の中年の女性は、隣町の住人であるという。挨拶もそこそこにまくし立てるもので、帆高は顔を引きつらせたが彼の方はニコニコと耳を傾けていた。
彼女はこの神社を犬の散歩コースに加えていて、ほぼ毎朝彼とも顔を合わせているらしい。道理で、動じないわけだ。犬の方は主人の即席井戸端会議に慣れているのか、おとなしく腰を下ろして短い後ろ足で頭をかいている。
「この子、お孫さん? いーい顔してるわねえ」
「違いますよ。彼は偶々散歩の途中で立ち寄ってくれただけです」
「てことは、ご近所に住んでるの? もうっ、こんな綺麗な子が来るならオシャレしてくるんだったわ! 恥ずかしいっ」
到底恥ずかしがっているように見えない彼女に愛想笑いを返して、帆高は内心溜息をつく。立ち去りたいが、タイミングがつかめない。二人に分け隔てなく話しかけてきて、彼の方が申し訳無さそうに帆高を横目で見ていた。
「こんな若い子をここで見かけるのなんて、久しぶりだわ~。前はね、午後だったのよ。あの日はチョコちゃんにどうしてもってせかされて、いつもより3時間も早く散歩に出たのよ。風が冷たかったけど、いいお天気で。そしたら、高校生ぐらいの女の子がいたの。白いコートを着て、髪の長い子だったわ。チョコちゃんみたいに綺麗な色で『この子とおそろいね』って言ったら、『本当ですね』って笑ってくれてね」
帆高はハッと‘チョコちゃん’を見下ろした。記憶の中の彼女と似た色をした、艶やかな茶色の毛並みのダックスフント。鼓動がドドドと騒ぎ出す。
「それって、いつのことですか?」
身を乗り出すように尋ねてきた帆高に彼女がキョトンとしたのは一瞬で、気を良くしてか帆高が一々を尋ねるまでも無く矢継ぎ早に語ってくれた。
彼女が少女に会ったのは、4年前。母親の幸世に宛てた手紙に記されていた日付とも一致する。その日が彼女の子供の誕生日だったこともあり、日付を覚えていたのだった。珠結の髪は特徴的だし、あの日の珠結も白いコートを着ていた。間違いない、彼女が見たのは珠結だ。
時間的に考えて、幼稚園に向かう前に立ち寄ったと考えられる。神社に来てすることといえば一つだから意図は読めるが、睡眠発作と足の爆弾を抱えた身で来られたものだと思う。
「その子、もしかしてあなたの彼女さん? 青春ねえ」
「いえ、少し興味が沸いて。その子とは、何か他に話したんですか?」
「そうねえ…。ああ、私たちが散歩してる間もずっと熱心にお祈りしてて、ついジロジロ見ちゃってたの。ほら、今時の若い子って正しい参拝の仕方も知らないで、適当に手を叩いて頭を下げてさっさと行っちゃうでしょ? でもその子はきちんとしてて、感心してたのよ。しばらくして振り返ったその子と目が合って、顔をよく見たら気づいちゃったの。ウチの姑と似てるって」
「とんでもない。こちらこそ、こんな老いぼれの話し相手をしてもらって。君の事は忘れませんよ。どうか、お元気で。ああ、でもやはりまたお会いしたいものですけどね」
「俺の家も近所ですから、道端で出くわすこともあるかもしれませんね。昔の祖母を知っている方に会えて、俺の方こそ嬉しかったです」
さよなら。決別の意味合いで、社に頭を下げる。たったこれだけが目的だったけじめの儀は、随分と長い散歩になってしまった。では、と彼にも会釈しかけた所で「あらぁ!」と女性の声が背後から飛び込んできた。
犬のリードを引いたジャージ姿の中年の女性は、隣町の住人であるという。挨拶もそこそこにまくし立てるもので、帆高は顔を引きつらせたが彼の方はニコニコと耳を傾けていた。
彼女はこの神社を犬の散歩コースに加えていて、ほぼ毎朝彼とも顔を合わせているらしい。道理で、動じないわけだ。犬の方は主人の即席井戸端会議に慣れているのか、おとなしく腰を下ろして短い後ろ足で頭をかいている。
「この子、お孫さん? いーい顔してるわねえ」
「違いますよ。彼は偶々散歩の途中で立ち寄ってくれただけです」
「てことは、ご近所に住んでるの? もうっ、こんな綺麗な子が来るならオシャレしてくるんだったわ! 恥ずかしいっ」
到底恥ずかしがっているように見えない彼女に愛想笑いを返して、帆高は内心溜息をつく。立ち去りたいが、タイミングがつかめない。二人に分け隔てなく話しかけてきて、彼の方が申し訳無さそうに帆高を横目で見ていた。
「こんな若い子をここで見かけるのなんて、久しぶりだわ~。前はね、午後だったのよ。あの日はチョコちゃんにどうしてもってせかされて、いつもより3時間も早く散歩に出たのよ。風が冷たかったけど、いいお天気で。そしたら、高校生ぐらいの女の子がいたの。白いコートを着て、髪の長い子だったわ。チョコちゃんみたいに綺麗な色で『この子とおそろいね』って言ったら、『本当ですね』って笑ってくれてね」
帆高はハッと‘チョコちゃん’を見下ろした。記憶の中の彼女と似た色をした、艶やかな茶色の毛並みのダックスフント。鼓動がドドドと騒ぎ出す。
「それって、いつのことですか?」
身を乗り出すように尋ねてきた帆高に彼女がキョトンとしたのは一瞬で、気を良くしてか帆高が一々を尋ねるまでも無く矢継ぎ早に語ってくれた。
彼女が少女に会ったのは、4年前。母親の幸世に宛てた手紙に記されていた日付とも一致する。その日が彼女の子供の誕生日だったこともあり、日付を覚えていたのだった。珠結の髪は特徴的だし、あの日の珠結も白いコートを着ていた。間違いない、彼女が見たのは珠結だ。
時間的に考えて、幼稚園に向かう前に立ち寄ったと考えられる。神社に来てすることといえば一つだから意図は読めるが、睡眠発作と足の爆弾を抱えた身で来られたものだと思う。
「その子、もしかしてあなたの彼女さん? 青春ねえ」
「いえ、少し興味が沸いて。その子とは、何か他に話したんですか?」
「そうねえ…。ああ、私たちが散歩してる間もずっと熱心にお祈りしてて、ついジロジロ見ちゃってたの。ほら、今時の若い子って正しい参拝の仕方も知らないで、適当に手を叩いて頭を下げてさっさと行っちゃうでしょ? でもその子はきちんとしてて、感心してたのよ。しばらくして振り返ったその子と目が合って、顔をよく見たら気づいちゃったの。ウチの姑と似てるって」