あたしが眠りにつく前に
「就活以外で、着たくなんかなかったよ。ますます、スーツが嫌いになった」

 裾をつまみ、塚本は下を向く。カツン。足元の小石が不恰好に飛んでいった。

「俺も、同じだ。いずれ買うにしても、こんなに早く、しかも実際に着ることになるとは思わなかった。…塚本が来るってこともな。意外だった」

「それは俺の都合や距離的な意味で? それとも高校時代の宜しくない行いから判断して?」

「どれもだけど、最後のが主だな。以前のお前を知っているんだから。お世辞にも見ていて気持ちの良いものじゃなかった」

「そろそろ許してよ。一之瀬達が距離置いてから、本気で堪えたよ。俺への態度は変わらないのに、瞳だけはギラついてて。俺が元凶だって自覚してたから、いつ殺されるか生きた心地しなかったな」

「悪いな、記憶にない。第一、許しを請う相手は俺じゃないだろ」

 嘘ではなく、その頃の記憶はほとんど無い。今記憶を掘り返しても、珠結が側にいない日々に価値があったとは思えない。

 ああ、それは。塚本が忘れてた、とばかりにどこか抜けた声を上げた。

「一之瀬には言ってなかったけど俺、許してもらってるんだよ。向こうは‘許す’って感覚は無かったんだけどね」

「『和解した』とは言ってたな、あいつ。本当だったのか」

「俺達がまだ高校生だった時、一度だけ病院に行ったんだよ。でも眠ってて、少し待って諦めて帰りかけたタイミングで目が開いたんだ。運が良かったって思うよ。それで、何も知らないで今まで嫌なことしてきたのを謝った。そしたら、何て言ったと思う? 『許すも何も、あたしは怒ってなんかいない。謝るのはこっちだ』って。もう、呆れちゃうぐらい、お人よしなんだから」

「それがあいつの専売特許だ。お前も頑張ったんじゃないのか。なあ、そもそも何でお前は、あいつにだけはそっけなかったんだ? 部活のこと、そんなに根に持ってたのか。それにしては、行き過ぎてなかったか」

「最初は、それだけだったんだけど…。何だろう? …うん、きっと嫉妬してたんだ。一之瀬を独占してる彼女に」

「…冗談じゃない。気持ち悪い」

 道の中央にあった小石を、端へと蹴り飛ばす。塀にぶつかると小さく跳ね返った。

「純粋な尊敬と羨望だよ。一之瀬のプレーを見た時から、一之瀬は俺の憧れだったんだ。今だって、そうだ」

「お前、よくそんなこっ恥ずかしいこと言えるな。信じられん」

「そうかな。まあ、一之瀬からしたらだもんね」

 そんな所が、二人は似ていた。自分にはない素直さは、帆高にはほんの少しだけ羨ましかった。

「同級生なのに目を合わせたことも口を利いたのも、ほとんど無かった。素直な気持ちで話したのも笑ったのも、病院での一度きり。親しくなんか無かった、それなのに。悲しくて悔しくて仕方がないんだよ、俺。友達とまではいかなくても、もっと話してみたかったって思うんだ」

 塚本はパンツの腿部分の生地を強く握る。スーツだから皺になるだろうに、ちっとも構わずにブルブルと震える。

「本当、なんであの子なのかなぁ」

 永峰さん。塚本は今日初めて、彼女の名前を呼んだ。
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