あたしが眠りにつく前に
「気分悪い? 大丈夫?」

「いや。それより余計な世話だろうけど、我慢しなくてもいいと思う。辛くないか?」

「え? 何のこと?」

「一度も、泣いてないよな」

 里紗は困ったようにが目を逸らし、空いた片手で胸元のペンダントを包み込む。

「わたし、泣きそうに見える?」

「目が赤いし、少し潤んでる。でも、ギリギリセーフって所だな。わざわざ堪えなくても」

「ううん、泣かないよ。…一つ聞いていい? 珠結は、一之瀬君の前で泣いたことある?」

 一度。たった、一度だけ。もっと、泣いたって良かったのに。

「わたしの前での珠結は、いつだって笑ってた。珠結のことだから、心配させたくないって思ってたんだろうね。あの強がり、意地っ張りめ。一番辛いくせに、隠し続けて最後まで涙を見せてくれなかった。だからね、そんな珠結が泣かなかったのに、他人のわたしが泣くなんてずるいと思うんだよ。わたしは珠結じゃないから、珠結が抱えてた本物の苦しみは分からない。仲が良くても、結局は他人なの。同情とか寂しいとかの、わたしの独りよがりで珠結が我慢してきた涙を流したくなんかない…!」

 里紗の気持ちは帆高には痛いほど分かる。長い月日を積み重ねてきても、多くの時間を共に過ごしても、心の底から分かり合っていても。珠結と自分は別々の存在、同一になんてなれやしないのだ。

自分は珠結にはなれない、珠結ではない。どれほど強く想っていても、同じ遺伝子すら共有しない赤の他人。親友であっても、砂一粒ほども残さず丸ごと知り尽くすこともできない。全てをオリジナルのまま共有することも叶わない。

「とか言ってるけど、実は泣いちゃってるんだよね。こっそり、誰もいない所で。家に帰ったら、間違いなく号泣一直線。珠結に入院するって言われた時が、そうだった。やっぱり、我慢できなかったんだ。デコピンかまして啖呵切っておいて…珠結には内緒だよ」

「強烈なネタ晴らしだな。意地っ張りなのは、杉原もいい勝負なんじゃないか」

「かなあ? だったら当然、今日もその意地は通すよ。笑って、バイバイする。病院での珠結と同じように。言い方おかしいけど、やられたからやり返す。珠結もそう思ってるって、信じたいから」

 今日という日を、悲しいの一言でまとめたくない。強い人だな、と帆高は目を細めた。手が離れたパワーストーンの青が、頷くかのように揺れた。

「里紗、そろそろ来ないと…」

 呼びに来た那智が里紗の腕を引いた。涙は引いていたが目元は腫れ、ハンカチを握ったままだった。連れられた里紗が花を入れた所で、棺に蓋がされた。釘打ちもされ、これで永久に珠結の姿が人の目にさらされることは無くなった。

会場の外に出ると、親族はいなくとも多くの人が霊柩車に運ばれていく棺を見送っていた。あまりにも若い命の灯火が消えたことに感極まってか、見るからに珠結の直接の関係者ではない年齢層の男女が目元を拭っている。

 幸世は遺影を抱え、口を引き結んで前だけを見ている。唯一の遺族である喪主として、立派に役目を務めようとする義務感からか、喪った痛々しさを見せまいとしているのか。

 合掌の後、帆高は目を開けると斜め向かいに香坂の姿を見つけた。霊柩車が見えなくなるのを見送った人々がパラパラとはけていく中で、彼女はじっと道路の果てを見やっていた。

 彼女の口が、小さく動く。「ずるいよ」帆高の目には、そう紡がれたように見えた。
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