あたしが眠りにつく前に
「隠されてる方が、よっぽど傷つくのよ。たまたまってこともあるんだから、取り返しのつかないことになって、悔やむのはあんただけじゃない。お母さんもあの子達も、とても心配してたわ。あんたに何かあったら泣く人間がいるんだってこと、頭に叩きこんどきなさい」

 今日やっと、まともに目が合って会話をした気がした。形式的な言葉でも表情を削いだ顔でもない、感情的な幸世は病院以来だった。奇妙な懐かしさに、帆高の胸が熱くなる。

「たいしたことなくて、ちょっと気分が悪くなっただけって言ってあるわ。でもお母さんには…ちゃんと伝えなさいよ。大事なことを言わなかったり勝手にいなくなったり、心臓がいくつあっても足りないったらない。親を早死にさせたいの、あんた達は」

「ごめんなさい。でも、言う必要は無いと思います。金輪際、こんなことは起きません。いらぬ心配は、かけたくないです」

 これほどに心をかき乱して、胸をかきむしるほどの痛みを与えるのは珠結だけ。しかし、珠結はもういない。珠結のいない世界で、似た衝撃に苛まれることなど起こりはしない。

 大切な人に、不安の種を見せはしない。自分だって、そうだ。‘あんた達’幸世がうっかり口を滑らせた発言には、あえて反応しないことにする。

「何でそうも、あんたは…。珠結を切り離せはしないと分かってはいた。せいぜい強すぎる執着を抑えて、あんたを占める珠結の存在を収縮できたらと思ってたけど。あたしが強制してきたことは、何の意味も無かったみたいね」

「幸世さんの思いは気づいていました。それでも、無理でした。日常に専念しても多忙で自分を追い込んでも、気を緩めれば心にしまい込んでいた珠結を思い出して。想わずにはいられませんでした」

 一方通行な依存。憐れで惨めで救いようの無い。罵ってくれればいいのに、いつでも幸世はそうしない。幸世が「バカ」と嘆息して同じベンチの背に腰掛けて足を組む。

ワンピースだが中に黒のストッキングを履いており、帆高とは体の向きが逆になる。帆高が目のやり場に困ることは無い。

「あの塚本って子も里紗ちゃんも、あんたとは親しいの?」

 首を傾けて、幸世が建物内を見やる。低い位置で縛っている髪の束が揺れた。漆黒の毛先は服の黒と同化している。

「俺にとっては塚本が、珠結にとっては彼女が、高校時代に最も長く一緒に長く時間を過ごした相手だと思います。すぎ…彼女とは珠結を通じてよく話をして、珠結の病室でも何回か顔を合わせました。親しい方だとは思います」

「二人とも気にしてたわよ、本当に大丈夫なのかって」

「だったら、早いとこ行った方がいいですね」

「大丈夫だとでも言うつもり? そんなのまるで説得力が無いわね。『大丈夫』って簡単に言う人間ほど、ちっとも大丈夫なんかじゃないのよ」

 待ちなさい、見下ろす幸世の無表情は命令した。帆高は浮かしかけた腰をまた沈める。

「あの子達が変に思ってたのは、あんたに会った直後からよ」

「え?」

「二人はあんたが思うよりも、あんたを見てる」

 幸世の右手が帆高の顎に添えられた。その冷たさに、帆高の肌がゾワリと総毛立つ。

「『消えそうな目をしている』とも言ってたわ。なんで、分からないのよ。帆高」

 グイ。顎が乱暴に持ち上げられた。

「言ったわよね? 殺すぐらいなら、あたしを憎めと。なんでまだ、そんな目をしてるのよ?」

「…あれから、あなたの言葉をずっと考えていました。俺が何を殺すというのか、なぜあなたが自分を憎めだなんて言ったのか。答えを探すため、吐きそうなぐらいに鏡で自分の目を見ました。俺には、自分の目のどこが変わったのか分かりません。それでも、一つの考えに至りました」
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