あたしが眠りにつく前に
 幸世の指先に力が入る。息はしづらいが、痛みは無い。

「俺は、死にたがっているように見えますか。俺が俺(じぶん)を殺して、珠結の後を追う。そう思うんですか」

 「俺は、死なないですよ」力なく笑う帆高の目は、どんよりと濁っていた。目だけが、生気を失っている。

酷くなっている。葬儀会場で遠目から帆高を見かけた時点で、幸世は気がついた。止められない。幸世は帆高の顔から手を離した。

「珠結が手放したくなかった命を、進んで捨てる真似は俺にはできません。それは珠結への冒涜でしょう。何を勘違いしてか、珠結は自分から解放するためにと、敢えて俺を突き放したことがありました。そんな珠結が少なくとも、自分と同じ場所に来てほしいと思いはしない。だから…生きるしかないんです」

「命を絶つのだけが、殺すんじゃない。帆高、あんたは珠結を、珠結への想いを過去にできるの。死者を思い続けて生きていくなんて、死んだように生きはしないって誓える?」

「幸世さんは、そっちの方を心配していたんですか。…それの、何がいけないんです?」

 頬に熱が走った。はたかれたらしいと、数秒遅れて認識した。興奮してはいないのに、痛点が麻痺したように痛みを感じない。

「『そうなるぐらいなら、いっそあたしを殺してくれればいい』珠結は言ってた」

「珠結が…?」

「『自分がいなくなった後も帆高を縛り付けるなら、帆高の人生に影を落とすなら。帆高の中で思い出にも過去にも変われないなら、永峰珠結を消してほしい』本当は忘れないでほしくないくせに。泣きそうな目でぼやいては、『あたしの自惚れだったらいいけど』って笑って。珠結はあんたがそんな目をしながら生きるのを望んでなかった。あたしは帆高に、珠結もあんたも殺させたくない。珠結を思い出すなとは言わない。誰も、殺さないで。生きてったら…!」

 殺すぐらいなら、憎め。憎悪の感情を力に変えて、生きろ。分かりにくくて煩雑な、自己犠牲の人。そんな不器用なあなたを慕っていた。自分も、珠結も。

彼女にとっては痛くも痒くも無かろうと、自分にはできない。珠結も相手が誰だろうと、愛する母が憎まれるのを良しとはしない。

「幸世さん、俺はあなたを憎めやしないです。珠結を殺すことも、できはしない。珠結を忘れることは、俺自身を殺すことと変わらない。あなた達は、俺にとってかけがえのない人なんですから」

 誰も殺さない、生きるためには。そのための揺ぎ無い理由がほしい。ふと帆高の頭に、今朝の出来事がよぎった。

「…珠結は、地元の神社に願掛けをしたようなんです。自分のこと…病のことでもない何かを真剣な様子で。いったい、珠結は何を願ったんでしょうね」

「願掛け? 体のことじゃない? …検討もつかないわね。いくら親子でも、分からないこともあるわ。でも、自分のことじゃないなら、別の人のことを願ったんじゃないかしら」

 突拍子無く逸れた話題に、幸世が疑い深げな目をした。何を企んでいる? それでも娘が出てきた話題は無下にできないのか、会話に乗ってくれる。

「別の人、とは?」

「自分にとって、大切な人。決まってるじゃない。何とも思ってない人について、いちいち神社に行ってまでお願いする義理なんてないでしょ。全人類の幸福だとか世界平和だとか。あたしには、ちゃんちゃらおかしいわね。珠結もそればかりはないでしょ、自分一人の幸せすら守ろうとしてくれていないんだから」
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