あたしが眠りにつく前に
「大切な、特定の人物。幸世さん、あなたが願掛けをするとしたら。それは珠結のことですよね。何を、願いますか」
彼女の、幸福(しあわせ)を。叶うのならば何だって、自分はどうなったって。笑って、生きてほしい。自分は、そう願い誓った。
帆高が口にすれば、幸世の瞳が微かに揺れた。「決まってるじゃない」目を伏せると、足を組み替えた。
大切な人の、幸福を望む。帆高も幸世も、帆高の祖母もかつては。特別でもない、一般的な思考。ならば、彼女だって。
「珠結も、そう願ったんでしょうか。もしそうなら、俺は…珠結にとって願ってもらえるような存在でしたでしょうか。あなたの、ような」
「…答える価値もないわね。帆高、それは全部、想像でしかない。珠結が何を願ったか、誰にも分からない。一生ね」
「ええ。でもその不安定な想像で、俺は生きていける」
帆高が立ち上がった勢いで、ベンチが僅かに揺れた。帆高の視線の先で、里紗と塚本がキョロキョロと辺りを見渡している。たいしたことは無かったのだ、もう行かないと。
帆高を見上げる幸世の目は、怯えるように慄いていた。帆高の瞳を、見て。よっぽどな目をしているのか、帆高は喉の奥で笑った。
数分前と似つかない、虚ろではない瞳と笑み。紛い物(フェイク)ではない本物(リアル)の、それら。幸世の胸中は、嫌な予感が渦巻いていた。
「妄想でも、ご都合主義でも、何でもいいんです。珠結が俺の幸せも願っていてくれていたという可能性が無いこともないのなら。実際はどうだったのか、それもどうだっていい。知る術のカードは、どこを探したって無いんだから」
「帆高…何を考えてるの」
「幸世さんに初めて会ったのは、俺が5歳の時でしたね。それから10年以上、頻繁に顔を合わせなくとも、あなたは俺を気にかけてくれていた。珠結だけでなくその友人の俺も見守ってくれていた。感謝してますよ、今の俺があるのは、あなたのおかげでもあります」
ねぇ、幸世さん。その瞳には、光が宿っていた。強くて、真っ直ぐな鋭い光。しかしそれは幸世が知っている光ではなかった。似ているけど、違う。今まで見たことのない色が、帆高の瞳を支配している。
あなたの目に映る俺は、死者のように見えていましたか?
その一言で、幸世は悟った。彼が持ち込もうとしている結論が読めてしまった。なんて憐れで愚かな、愛おしい子。自分にできることは何も無い、彼の叫びに耳を傾けるだけだ。
「珠結と過ごしてきた日々は、幸せでした。珠結と出会ったことで、俺のモノクロだった世界は色づいて果てしなく広がりました。珠結がいなければ、俺は命はあっても‘生きていなかった’。これからも、変わるつもりはありません。だからといって、珠結の死を受け入れない訳じゃないです。珠結はいない、その上で日常を一生懸命に生きていきます」
「想いの時間だけは止めるのね。でも、前と状況は変わった。いるのといないのとは、大違いよ。始まりも終わりも見えないで、幻にしがみつくだけ。そんな生き方は、不毛でしかないわ」
「幸せなんて、人それぞれです。俺にとっての普通が、他者にとっての異常。悪くないですね」
幸せな人間を死んでいるだなんて、他人が指を指して言えるのですか。面と向かって聞かれていたら、幸世には答えられなかった。帆高もきっと、見透かしていた。
彼女の、幸福(しあわせ)を。叶うのならば何だって、自分はどうなったって。笑って、生きてほしい。自分は、そう願い誓った。
帆高が口にすれば、幸世の瞳が微かに揺れた。「決まってるじゃない」目を伏せると、足を組み替えた。
大切な人の、幸福を望む。帆高も幸世も、帆高の祖母もかつては。特別でもない、一般的な思考。ならば、彼女だって。
「珠結も、そう願ったんでしょうか。もしそうなら、俺は…珠結にとって願ってもらえるような存在でしたでしょうか。あなたの、ような」
「…答える価値もないわね。帆高、それは全部、想像でしかない。珠結が何を願ったか、誰にも分からない。一生ね」
「ええ。でもその不安定な想像で、俺は生きていける」
帆高が立ち上がった勢いで、ベンチが僅かに揺れた。帆高の視線の先で、里紗と塚本がキョロキョロと辺りを見渡している。たいしたことは無かったのだ、もう行かないと。
帆高を見上げる幸世の目は、怯えるように慄いていた。帆高の瞳を、見て。よっぽどな目をしているのか、帆高は喉の奥で笑った。
数分前と似つかない、虚ろではない瞳と笑み。紛い物(フェイク)ではない本物(リアル)の、それら。幸世の胸中は、嫌な予感が渦巻いていた。
「妄想でも、ご都合主義でも、何でもいいんです。珠結が俺の幸せも願っていてくれていたという可能性が無いこともないのなら。実際はどうだったのか、それもどうだっていい。知る術のカードは、どこを探したって無いんだから」
「帆高…何を考えてるの」
「幸世さんに初めて会ったのは、俺が5歳の時でしたね。それから10年以上、頻繁に顔を合わせなくとも、あなたは俺を気にかけてくれていた。珠結だけでなくその友人の俺も見守ってくれていた。感謝してますよ、今の俺があるのは、あなたのおかげでもあります」
ねぇ、幸世さん。その瞳には、光が宿っていた。強くて、真っ直ぐな鋭い光。しかしそれは幸世が知っている光ではなかった。似ているけど、違う。今まで見たことのない色が、帆高の瞳を支配している。
あなたの目に映る俺は、死者のように見えていましたか?
その一言で、幸世は悟った。彼が持ち込もうとしている結論が読めてしまった。なんて憐れで愚かな、愛おしい子。自分にできることは何も無い、彼の叫びに耳を傾けるだけだ。
「珠結と過ごしてきた日々は、幸せでした。珠結と出会ったことで、俺のモノクロだった世界は色づいて果てしなく広がりました。珠結がいなければ、俺は命はあっても‘生きていなかった’。これからも、変わるつもりはありません。だからといって、珠結の死を受け入れない訳じゃないです。珠結はいない、その上で日常を一生懸命に生きていきます」
「想いの時間だけは止めるのね。でも、前と状況は変わった。いるのといないのとは、大違いよ。始まりも終わりも見えないで、幻にしがみつくだけ。そんな生き方は、不毛でしかないわ」
「幸せなんて、人それぞれです。俺にとっての普通が、他者にとっての異常。悪くないですね」
幸せな人間を死んでいるだなんて、他人が指を指して言えるのですか。面と向かって聞かれていたら、幸世には答えられなかった。帆高もきっと、見透かしていた。