あたしが眠りにつく前に
 生き方を決める権利を持つのは、本人だけだ。他者の自分は下手な干渉も口出しも、すべきではなかったのだ。彼がそれでいいのなら、と割り切るのが彼の期待に応えるというものだろう。

良くも悪くも彼を動かせるのは、たった一人だった。今となっては、誰も彼を制御できない。

 自分の望みを突き通し、誰も殺さないという他者の望みも裏切らない。これ以上に幸福な人生設計(シナリオ)なんてないだろう。帆高は内心、呟いた。

帆高は瞼を閉じて、上から手を置いた。幸世には、この目はどう映っているのだろう。目ばかりは、鏡と延々とにらめっこしても正体を掴めた試しがない。

「自分では分からないので…、最後にもう一つだけ。俺の目は、どうなっていますか」

 目を開き、振り返る。幸世は臨む所のように、帆高の瞳を怯むことなく覗き込む。

「強くて、鋭い。光もある。さっきとは正反対の、生きた瞳。だけど、以前のとも違う」

 幸世はいったん言葉を区切った。黙り込んで数秒、ああと声が漏れた。

「狂った瞳をしてる」

 帆高が抱いたのは、歓喜しかなかった。「そうですか」の声は弾んでいた気がする。

自分は狂っている。それは従来から、分かりきっていたことだ。隠していたつもりでも、幸世には見抜かれていた。そして尚も、肯定してくれた。やはり彼女は貴重で特別な、両親以外に心から信頼できる大人だ。

内に秘めていた狂気が表に出てきただけで、本質は変わってはいない。これからも、変わることなどない。幸世の客観的な指摘は、小躍りしかねないぐらいに嬉しい褒め言葉だ。

「あんたは壊れかけてて、狂ってる」

「幸世さんは、そうは見えませんよ。あなたも珠結を想って生きていくのに」

「あたしは母親で唯一の家族よ、その権利と義務があるわ。当たり前の感情なんだから、気狂いとは言わない。他人のあんたと一緒にしないで。はあ、あんたは狂ってる場合じゃないのよ? まだ若いんだから」

「若いのは、幸世さんもでしょうに」

「年齢だけの問題じゃないわ。あたしも、そろそろ行かないと。一応、喪主だし」

 立ち上がっても、帆高が幸世を見下ろす形は変わらない。全国平均並の身長の珠結と違い、幸世は170近くある。成長期に入っても、なかなか抜くことはできなかった。

「若さだけじゃなくて、未来もあるのよ。帆高には。だからきっと、この先あんたを想ってくれる人はいくらでも現れる。そして、珠結以外に心から想える人を見つける時が来る。そのと時は変な意地を張らないで、気持ちに素直に従いなさい。戸惑っても腹立たしく思っても、絶対に否定して捨てないで。幸せの形は人それぞれ、だけど形そのものも一人一つだけって決まってるんじゃないからね。人生は、何が起きるか分からない」

 地面の灰色が白へと近づき、横たわる木々の陰が色濃く浮かび上がる。見上げた先には、ガラス張りの天井。そのずっと先には、雲から完全に顔を出した太陽が惜しみなく光を降り注ぐ。

ペットボトルをかざせば、中の水が光を反射して煌めく。綺麗だな、初めて目にした子供のように口に出ていた。

 最後まで、晴れ女だったな。光が、満ちていく。これで、十分だ。
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