あたしが眠りにつく前に
珠結の葬儀の半月後、帆高に実家の母から1本の電話がかかってきた。永峰幸世が姿を消したという。
葬儀の後処理など喪主の役目をすべて果たすと、誰にも何も告げずにいなくなった。母や世話になったアパートの大家にも、行き先は分からないらしい。珠結の、墓の場所も。彼女は地元に墓を建てていなかった。
彼女が最後に目撃されたのは小さな手荷物を片手に、布に包まれた箱のような物を胸に抱えて駅へと歩き去っていく姿だったという。
自分の故郷へと、帰ったのだろうか。その地で、珠結の骨を土に返すのだろうか。自分のことを一切語らなかった彼女は、謎が多い女性だった。どこで生まれて育ったのか、珠結の父親はどんな人物なのか。娘の珠結もよく知らないようだった。
彼女は今いずこへ。「探してくれるな」と言わんばかりの、陽炎のような消失だった。
さらに一週間後、帆高の寮に一通の小包が届けられた。
***
風呂から戻ってベッドに寝転んでいた御園は、盛大な悲鳴を上げた。
「おめでとう。残り1カ月半、滑り込みセーフだな」
飛び起きて振り返れば、帆高が缶ビールを掲げていた。首筋に感じた強烈な冷たさと火照った体の温度差は、さぞや効果抜群だっただろう。確信犯の帆高はニヤリと見下ろす。
「何すんだ…って、何で分かったんだよ?」
「長風呂だったし、いつものお前ならすぐ机に噛り付いて暢気にしちゃいない。昼間の電話がそうだったんだろ? コソコソと部屋出てったかと思えば、ソワソワして戻ってきて。スキップしそうな感じで、キモかった。ま、これで一安心だな。お疲れ」
缶ビールを受けると、御園は一気に喉へと流し込んだ。缶から口を離した時には、中身は空になっていた。帆高だったら急性アルコール中毒になって昏睡しかねない業でも、御園は素面と変わりなくニマニマと喜びに浸っている。
「あ~! うまいっ!! これでお袋からの『まだか』コールに怯えなくていいんだ! スーツも着なくていい、履歴書もECも書かなくていい。電車の中で面接の練習してて、変な目で見られることもない! 俺は自由なんだあぁぁ!!」
「うるさい」帆高が動いた。すると御園の口から2度目の悲鳴が響き渡る。
「1本じゃ物足りないだろ、あと2本な。もっと飲みたきゃ、後は自分で買って来いよ」
「へ? いひの? いひのへ、まひへ、かひ…」
キンキンに冷やされた二本目を頬に押し付けられながら、御園は帆高を神と崇める。春が近くとも、まだ空気は冷たい。室内でも暖房はつけていないため、冷気は身にしみて心臓に悪い。
「これ、プレミアムじゃんか。道理で美味いと思った。高かっただろ!?」
頬をさすりながら缶を眺めていた御園が、目を丸くして缶を突きつけてきた。声が大きい、耳がキンキンと響いて頭まで痛くなる。3本目はどこにしてやろうかと、帆高は逡巡しかけた。
「お前、前に飲んでみたいって言ってただろ。バイトも再開してるし、俺は元からそんなに金は使わないから気にするな。お前だって、俺の時に奢ってくれただろ」
「物が違うって。チューハイ1本じゃ、全然釣合わない」
「下戸の俺と酒豪のお前なら、満足するのに酒の種類も本数も違ってくる。『祝い事なら酒だ!』って言ってたお前が、何でそんな謙遜するんだよ」
「しかもあれ、1番安い…」
「そう言われたって、俺はあれしか飲めない。何だ、俺が安上がりだって言いたいのか」
「…いや。どうも、ご馳走様です」
帆高の剣呑な瞳に慄いて、御園はそそくさとプルタブを空けた。
葬儀の後処理など喪主の役目をすべて果たすと、誰にも何も告げずにいなくなった。母や世話になったアパートの大家にも、行き先は分からないらしい。珠結の、墓の場所も。彼女は地元に墓を建てていなかった。
彼女が最後に目撃されたのは小さな手荷物を片手に、布に包まれた箱のような物を胸に抱えて駅へと歩き去っていく姿だったという。
自分の故郷へと、帰ったのだろうか。その地で、珠結の骨を土に返すのだろうか。自分のことを一切語らなかった彼女は、謎が多い女性だった。どこで生まれて育ったのか、珠結の父親はどんな人物なのか。娘の珠結もよく知らないようだった。
彼女は今いずこへ。「探してくれるな」と言わんばかりの、陽炎のような消失だった。
さらに一週間後、帆高の寮に一通の小包が届けられた。
***
風呂から戻ってベッドに寝転んでいた御園は、盛大な悲鳴を上げた。
「おめでとう。残り1カ月半、滑り込みセーフだな」
飛び起きて振り返れば、帆高が缶ビールを掲げていた。首筋に感じた強烈な冷たさと火照った体の温度差は、さぞや効果抜群だっただろう。確信犯の帆高はニヤリと見下ろす。
「何すんだ…って、何で分かったんだよ?」
「長風呂だったし、いつものお前ならすぐ机に噛り付いて暢気にしちゃいない。昼間の電話がそうだったんだろ? コソコソと部屋出てったかと思えば、ソワソワして戻ってきて。スキップしそうな感じで、キモかった。ま、これで一安心だな。お疲れ」
缶ビールを受けると、御園は一気に喉へと流し込んだ。缶から口を離した時には、中身は空になっていた。帆高だったら急性アルコール中毒になって昏睡しかねない業でも、御園は素面と変わりなくニマニマと喜びに浸っている。
「あ~! うまいっ!! これでお袋からの『まだか』コールに怯えなくていいんだ! スーツも着なくていい、履歴書もECも書かなくていい。電車の中で面接の練習してて、変な目で見られることもない! 俺は自由なんだあぁぁ!!」
「うるさい」帆高が動いた。すると御園の口から2度目の悲鳴が響き渡る。
「1本じゃ物足りないだろ、あと2本な。もっと飲みたきゃ、後は自分で買って来いよ」
「へ? いひの? いひのへ、まひへ、かひ…」
キンキンに冷やされた二本目を頬に押し付けられながら、御園は帆高を神と崇める。春が近くとも、まだ空気は冷たい。室内でも暖房はつけていないため、冷気は身にしみて心臓に悪い。
「これ、プレミアムじゃんか。道理で美味いと思った。高かっただろ!?」
頬をさすりながら缶を眺めていた御園が、目を丸くして缶を突きつけてきた。声が大きい、耳がキンキンと響いて頭まで痛くなる。3本目はどこにしてやろうかと、帆高は逡巡しかけた。
「お前、前に飲んでみたいって言ってただろ。バイトも再開してるし、俺は元からそんなに金は使わないから気にするな。お前だって、俺の時に奢ってくれただろ」
「物が違うって。チューハイ1本じゃ、全然釣合わない」
「下戸の俺と酒豪のお前なら、満足するのに酒の種類も本数も違ってくる。『祝い事なら酒だ!』って言ってたお前が、何でそんな謙遜するんだよ」
「しかもあれ、1番安い…」
「そう言われたって、俺はあれしか飲めない。何だ、俺が安上がりだって言いたいのか」
「…いや。どうも、ご馳走様です」
帆高の剣呑な瞳に慄いて、御園はそそくさとプルタブを空けた。