あたしが眠りにつく前に
 口を噤んだ帆高に、御園は返答を期待していなかったのか。当たり障りない全く別の話題へと、持ち込んだ。それから1時間ほどして、どちらからともなくベッドに潜り込んでお開きとなった。

朝を迎えて目をこする御園はぼんやりと、お決まりの挨拶をしてきた。「今日は授業があるのか」といった他愛無い会話をし、別々に部屋を出た。御園は一貫して普通だった。

 半分飲み残したチューハイは部屋の冷蔵庫に入っている。昨夜はほろ酔い程度に留まり、酔いに任せて眠りに沈む気になれなかった。同時に加減とコツを掴めたような気もする。

 宴の途中で流れた微妙な空気の理由を、御園は終始正気でいた帆高に確かめてこようとしない。普通に話しかけ、笑いかけてくる。帆高から持ちかけても「何のこと?」と逆に問いかけられてしまいそうなぐらいに。

しかし帆高は覚えている。友人達におめでとうと、背中や頭をバシバシと叩かれている姿を遠くから眺めながら、帆高は厚ぼったい瞼の下から見据えてきた、真剣な御園の目を思い返していた。

 それから数日後の真夜中。時刻はすでに午前1時を経過していた。まだ冷たさの残る風の名残に身を震わせながら、御園は自室のドアの前に立った。

 今日は遅くなると、同室の一之瀬には伝えてあった。さすがに、もう寝ているだろう。だと、いい。鍵を差し込んでひねり、そっとノブを握る。

ドアは開かなかった。まさか、開いたままだったのか。もう一度鍵をひねれば、扉はゆっくりと動く。帰りを待っていた、というのは有り得ないし、かけ忘れたのだろうか。あいつにしてはと、靴を脱ぐ。

 部屋の中は真っ暗で、物音一つしない。壁のスイッチを手探りで探していると、正面の窓辺に大きな黒い影が浮かびあがっていた。御園が思わず叫びかけた所で、影が口を利いた。

「…御園か? 意外と早かったな」

 御園が目を凝らすと、窓の桟に腰掛けて空を眺める帆高がいた。顔は窓に向けられたままで、暗さのせいだけでなく表情は見えない。

「今、何時なのか分かってるのか? もう、1時だぞ」

「そんな時間か。月が高いはずだ。今は隠れてるけどな」

 言葉とは裏腹に、帆高の声は驚いているようには聞こえなかった。電気もつけずに、いつからこうしていたと言うのか。御園は何か不気味なものを覚えた。

自分が今話しているのは、間違いなく一之瀬だ。むしろ彼以外であっては困る。そう思っているのに、なぜだろう。

これは本当に一之瀬なのだろうか。矛盾した思いも頭をもたげてくる。いっそ、一之瀬であってほしくない。そんな破綻した願望も、むくむくと沸いてくる。

「ああ、寒いよな。悪い」

 言いようの無い心境に戸惑う御園の沈黙の意味を分かるはずもない帆高が、見当違いな結論を口にする。ガラガラと窓が閉まる音だけが室内に響く。やけに空気が冷たいはずだ。

全開だったため、御園には開いていること自体見えていなかった。そこでハッと帆高に歩み寄る。

「冷てっ…! 風邪引くぞ!!」

 袖の生地の上からでも分かるほどに、帆高の体は冷え切っていた。違和感に鼻がひくつく。

御園は帆高の腕をつかんでベッドに突き飛ばすと、ハンガーにかかっていた室内用の上着を放ってやった。
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