あたしが眠りにつく前に
『このおひめさま、たまゆちゃんに、そっくりだね』

 小さな頭を突き合わせながら、そう笑い合っていた。眠り病の影に気づかず、‘おひめさま’と同じく深い眠りに悩まされることなど思いもしていなかった、あの頃。そっくりであってほしくなかったと悔やむのは、今になってのこと。

『たまゆのところにも、おうじさまはきてくれるかな?』

 『きっと、きてくれる』そんな無難な返事をしたと思う。しかし珠結の淡い期待を裏切って、彼女の眠りを覚ます‘おうじさま’は現れてはくれなかった。

医者も薬も、神も仏も。期待させておいて、大丈夫だと微笑まなかった。誰も‘おうじさま’には、なれなかった。この自分も。

 眠り姫になれなかった珠結を、王子になれなかった自分は黙っていかせてしまった。

 ひたすらページを捲り、指をとめる。目覚めた姫と王子が手を握り合い、見詰め合って笑みを交わす。珠結も帆高も童話の象徴的な目覚めの口付けのシーンよりも、この挿絵の方が好きだった。

 絵を眺めてふと目が合って微笑みあう。「おんなじだね」と、笑みが深まる。赤いチェックのワンピースに高く結ったツインテールの髪が揺れていた。

おんなじだったんだ。珠結と初めて会った時も、同じ服装と髪型で同じ笑顔を向けてくれた。

 入院生活から解放され、同年代の子に慣れておいた方がいいと、幼稚園には小学校に入学する半年前から通うことになった。

微妙な時期での新参者に、子供達は興味を持った。しかし大勢の見慣れぬ自分と同じ子供に恐怖し、帆高は彼らから逃げて拒絶した。誤解されやすい目もあって、子供達は帆高から遠ざかって孤立した。

 保育士達は最近まで重い病をかかえていた帆高の体と境遇を気遣いつつ、なんとしても友達の輪に入れるのだと躍起になった。帆高にはそれすらも苦痛で、疎ましく思っていた。

保育士の目を逃れ、辿り着いたのは裏庭の巨木の下。乱れた息を整えていると、上方から声が降ってきた。

『おいでよ、見えなかったものが見えるよ』

 「怖い」と子供達に逸らされた自分の目をまっすぐ見つめ、無邪気に笑いかけてきた。家族や看護師以外で、そんな笑顔を向けられたのは初めてだった。思わず、涙があふれてきた。

そんな帆高の涙に首をかしげながらも、差し出してきた手は引っ込められなかった。何が見えるのかという興味よりも、その小さくて大きな手に触れたい気持ちが勝った。

 少女の助言どおりに靴と靴下を脱ぎ捨て、幹の窪みに足をかける。悪戦苦闘して上る帆高を、少女はひたすら待っていてくれていた。「もう少し」と触れた手は、柔らかくて温かかった。

 少女は‘たまゆ’と名乗った。その名前を、深く刻み込んだ。

『ぼくは…いちのせ ほだか』

 名前以外言えなくて、聞き返したくなるほど小さくて震えていたと思う。それが、二人の始まりだった。

 珠結が指差す先には、多くの家々が立ち並んでいた。田舎とも都会とも言えないこの町の重要な交通手段の赤い名鉄電車が、右方から左方へと走り抜けていく。その遥か向こうの水平線上には僅かしか見えない、太平洋が広がっている。

 目線をやや下に下ろせばボールを持って走り回る園児や、それを追いかける保育士の姿。視点を変えなければ見えなかった遠くの景色に、見上げていたものを見下ろす感覚は衝撃的だった。

自分と同じで、全てが小さい存在。珠結の言う、見えなかったものを見る。形容しがたい不思議な感覚は、帆高の世界を色づけて満たした。
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