あたしが眠りにつく前に
 破るまいと丁寧にテープを剥がし、カバーを剥がす。現れた絵柄はカバーと同じだったが、茨に覆われた城の上には絵とちぐはぐな水色の封筒が居座っていた。

封筒だけでなく、封緘部のボタンのシールも見たことがあった。幸世の封筒には赤、目下の封筒には青いボタンで封をしている。これは、珠結の手紙だ。

手に取ると、簡単に表紙から剥がれた。裏返しても、宛先も宛名も書かれていなかった。誰宛かも分からない手紙を勝手に見てもいいものかと躊躇われたが、この絵本の所有者は帆高に移った。ならばこの付属物の所有権もかく然りき。

 中身を確認して、手紙が渡るべき相手に届けるのも持ち主の義務というものだろう。帆高は半ば言い聞かせるように、封を開けた。

 二つ折りの便箋の他には、何も入っていなかった。開くと、挟まれていた1枚の紙が滑り落ちて絵本の上に舞い落ちた。

 あとから飛び出した白い紙は、便箋の2分の1の大きさより1回り小さかった。手に取れば、やや厚みがある。まだ見ぬ裏面はツルツルとしていた。

“With my shine”

右下にペン書きで、これまた小さく書かれている。声は聞こえてこない、クラクションのような胸の鼓動だけが鳴り響く。帆高は大きく息を吸って止め、裏返す。

 それは過ぎ去りし過去の絵だった。戻ることも動かすこともできない時間が、平面的な空間の中だけで流れている。彼らにとっての現実が、そこにはあった。

 ポツ。水滴が紙面で丸く盛り上がる。指で拭えば、冷たかった。雨漏りか? 顔を上げれば、頬に何か熱いものが伝っていった。

これは自分の目から流れたものか。顎を伝う前に指で受け止めれば、まだ温かい。皮切りに次から次へと零れてくる。あの日から、泣いたことなど無かったのに。

義務感や笑顔で涙を押し殺した幸世と里紗のように、泣かないと決めたのではなかった。彼女達に倣って人知れず涙することもできず、どうしても泣けなかったのだ。

 珠結の葬儀で洗面所の鏡に映る自分は、普通(いじょう)だった。目は白いままで、冷めたような顔つき。目を赤く染め上げ、涙をこらえる同級生達が羨ましくて妬ましかった。

哀しみの頂点の場でも涙腺は緩まなかったのに、なぜ今になって涙が出てくるのだろう。こんなにも、溢れ返って止まらないのだろう。

 人は動物と違い、痛みだけでなく感情でも涙できるという。ならば自分は今、何の感情をもって涙しているのか。喜怒哀楽、どれにもピタリと当てはまらないように思える。

泣く理由も何を感じているのかも分からない。月が無くとも狂っている。やはり自分は正真正銘の気狂い(クレイジー)なのだ。

 君を想って、狂っていたいんだ。

 それしか生きる道を知らない。目の前に続く道は一本道で、分かれ道は今なお見えない。

『人生は、何が起きるか分からない』

 歩き続けていく中で、いくつもの分岐点に出くわすことになっても、歩の向きを変えることは想像できない。道の種類は違っていても、行き着く先はきっと同じだ。

彼女を忘れて生きること。それは己に「死ね」と言っている。

 ポツ。さすがにもう、止まってくれ。袖で乱暴にこすっても温く湿ったシミは広がるばかりで、両袖に瓜二つに浮かび上がる。尚も、止まってはくれない。

 まだ手紙があるというのに。彼女の真意を知ることができるかもしれない。帆高は“過去”を手放し、“彼女”を開いた。
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