あたしが眠りにつく前に
 すると彼女が嗚咽をこらえながら、何かを切れ切れに呟きだす。

 何? はっきり言って。帆高は冷淡に促した。

「…バッカじゃない!? 逆に洗脳されて利用されてるのが分かんないの?」

 彼女はなけなしの抵抗心で帆高を罵倒する。だが帆高はクッと笑って彼女を冷たく見据えた。

「だとしても、本望だな」

 狂者のような笑みに、彼女は今度こそ言葉を失った。そして手の甲で涙を乱暴に拭い、帆高の脇を抜けて駆け出す。大きめの目は、白ウサギのように真っ赤に染まっている。

「―――か」

 帆高の声は小さくて静かで、珠結には聞き取れなかった。彼女が立ち止まった所からすると、名前らしい。彼女は振り返らない。ただ、肩が小刻みに震えている。

「…残念だよ」

「……っ!」 

 殺伐とした雰囲気は、もうそこには無い。それでいて炎の消えた悲しみに似た色の瞳で、帆高は彼女を見つめていた。俯いた彼女の瞳からまた一滴涙がこぼれる。

 すぐ側で隠れている珠結に気付かぬまま、彼女は足早に去って行った。立ち上がると、いつかと同じ甘い香りが鼻孔をくすぐった。その時、ようやく彼女の正体を悟った。

 強烈な脱力感と解放感を感じる。思うことや考えることは多すぎて珠結の頭の中は今にもパンク状態だが、今は帆高のことが心配でならない。帆高は立ちすくんだまま彼女の去った方をぼんやりと見送っていた。

 どうしたらいいだろう。告白から修羅場に発展した状況に居合わせた後味の悪さも手伝って、冷静に打開策を考えさせてくれない。いや、ここは逆に何もアクションしないで、帆高が退場するの待つべきなのだろうか。

 ふと、帆高の視線がこちらにずれた気がした。咄嗟に後ずさると、存在自体を忘れていた足元の段ボール箱を思いがけず勢いよく蹴飛ばした。

 蹴飛ばした時の衝撃音と正体不明の中身の摩擦音は、静まり返った一帯に十分すぎるほど響く。

おずおずと顔を上げれば、目を見張った帆高が紛れも無く珠結を直視していた。

「……あれ、帆高? こんな所にいるなんて、どうしたの?」

 あはは、と珠結は自分でも分かる下手な笑みで笑いかけた。
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