あたしが眠りにつく前に
 あの日の帆高の彼女への笑顔が脳裏に浮かぶ。限られた男友達に向けるのと同じ、心からの笑み。自分が記憶する範囲では、女子では彼女に対してのみだった気がする。

二人でいる姿を見かけても、あぁ、楽しそうにしてるな、と気にかけなかった。彼女と本を貸し借りしていることを聞いても、微笑ましいと思うぐらいで。

 それは少し考えれば、簡単に分かること。

「心当たり、あるだろ? 一之瀬が香坂の仕事を進んで手伝うのを見たし、『香坂はいいヤツだ』って漏らしたのも聞いたことある。それらがあいつにとっては、すげぇ珍しい事だって分かるよな」

「…香坂さんの告白を断ったのは、あたしのせい。側を離れないようにしたから。残念な幼馴染への心配、義務感、責任感が帆高を束縛した。帆高は優しいから、香坂さんの手を取れなかった」

「もう、解放してやれよ。一生、あいつの自由を奪って不幸でいさせるつもり?」

 彼は珠結の前に立っていた。

‘世界のおきてを代表でもするかのように’‘冷然と、正義をたてに、あなどるように’
中学の国語の授業で習った小説の一部が頭の中で蘇る。タイトルまでは思い出せないが、その表現がふさわしいと思った。

 呼吸を忘れるくらいの痛みが頭と胸を襲った時、心の奥底で何かが割れた音が聞こえた。同時に痛みも引いていった。

「はは、は」

 急に笑い声を漏らした珠結に、塚本が異常者を見るかのように顔を引きつらせた。

「な…何だよ?」

「『帆高を傷つける人は許さない』そう思ってたのに、全然分かってなかった。あたし、とんでもなくバカだね。塚本君、もっと早く会いたかったよ。そしたらサッカーのことも香坂さんのことも、手放させなくて済んだのに」

「…俺がここまで永峰さんにイラつく理由、はっきりした。一之瀬のことだけじゃない。そっちだって陰で嫌なこと言われてるくせに、何で一之瀬ばかり気にかけてんの? 俺が永峰さんのこと嫌いだって知りながら、俺に笑いかけられるの? 俺がこんなひどい事言ってるのに怒らないで、自分ばかり責めるんだ!? 意味分かんないよ!!」

「面識無い人にとやかく言われたって、別にね。評価なんてどうでも。…それとね」

 強がりではない、自然な思いで珠結は微笑む。

「あたしは塚本君を嫌いじゃないからだよ」
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