あたしが眠りにつく前に
「おかえり、一之瀬君。わー、もしかして授業のプリント? すごい重そーだね。え、これだけの量、一人で持ってきたの?」

「もう一人係がいたんだけど、そいつは呼ばれてたの忘れたみたいでさ。でもこれくらい、どうってことないよ。それより珠結、入り口のまん前でボサっとしてるなよ。通行の邪魔だろ」

 辞典並みの重さがどけられてから、ゆっくりと振り向く。帆高の両手が抱えるプリントの山は30㎝近くあり、里紗が驚いても無理の無い、かなりの量だった。しかし帆高は言葉通りにまるで苦でもないかのように、手に震えは見えない。

 崩さないように紙の山をロッカーの上に置くと、帆高は二人に向き直る。 

「今日は来ないかと思ってた」

 安心したように、帆高は口元を綻ばせる。昨日のことを追及するのでもなく、責めるのでもなく。無かったことにしているのか、珠結の方から話すのを期待しているのか。

一歩下がった優しさを目の当たりにするのが、そしてその顔を見るのも…とても痛すぎる。

「珠結達のクラス、次は数学なんだ? 両面で五枚つづりって…うん、ハードだねぇ」

 里紗はプリントを一部手に取り、パラパラとめくって渋い顔をする。

「次は自習なんだよ。さすがに50分でこれだけは無理だろうから、できなかった分は宿題になるんだと。クラス中から文句が出そうだし、内容的にも頭が痛くなる」

「とか何とか言って、一之瀬君なら全部やり切っちゃいそうな気がするなぁ。なんてったって、学年トップの常連だもんねー。…いいなぁ、珠結は。分かんない所があったって、一之瀬君がきっちり教えてくれるんだから。この贅沢者っ」

 里紗がふざけて肩を小突くのに、曖昧に笑うことでしか反応できない。その様子を見ていた帆高の顔から、笑みが消える。

「おい? まさか、まだ…」

 里紗とは逆の肩に伸びてきた帆高の手を、一歩下がってかわす。

「大丈夫。それに、プリントは自力でやるよ。助けは、いらないから」

 顔は帆高に向いていながらも、瞳には映さない。目が合っているはずなのに、合っていない。合わせない。それは全く興味のないテレビ番組をぼんやりと眺めているのと変わりない。見ているはずの内容は、実は頭に入ってきていないのと同じこと。
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