あたしが眠りにつく前に
 里紗の無邪気な笑みと違った、貼り付けたような笑み。遠慮にも聞こえる、やんわりとした拒絶。帆高の顔に不審の色が現れ始める。 

「なら、それ、すぐに配らなきゃだよね。私、良かったら手伝うよ?」

 露知らずな明るい声に、一拍遅れて帆高の目が里紗に向かう。

「あー、係どころかクラスさえ違うのに、手伝ってもらったら悪いって。返却物じゃないんだから、手間がかかることでもないし」

「いいから、いいから。じゃあ私は窓側から配ってくね」

「そうか、悪いな」

 珠結に向けていた笑みを、里紗にも向けた。

「…職員室、行ってくるね」

 会話に割りこむ形で短く告げると、珠結は二人に背を向ける。「うん、いってらっしゃい」と里紗が手を振った。

 …初回は赤点。帆高にはいささか怪しまれてしまった。次からは気を付けなければ。珠結は難しい顔で足早に廊下を歩く。

 こうしているさなかにも、帆高と里紗は仲良く話しているだろう。笑い合っているのだろう。

帆高と里紗が1対1で長く会話をするのを見るのは、おそらく初めてだ。日頃は教室や下校時など三人での場合ばかりだった。しかし今回は、自分はほとんど会話に参加しなかった。自分がいなくても十分、成立していた。

 それにしても、帆高があんなに砕けて話すとは意外だった。もしかしたら前々から話をしてみたかったのかもしれない。いや、自分が知らないだけで…。

「あーもー! やめっ‼」

 廊下を歩く生徒達の視線が一挙に集まる。
何をいきなり叫んで。顔から本当に火が出てしまう。珠結は慌てて階段を下り、角を曲がって身を隠した。

 帆高が里紗に笑いかけた時、胸がどうにも苦しくなった。昨日までなら自分も笑っていられたのに、笑い返せていたのに。里紗に、里紗の立場に嫉妬していた。

 里紗は純粋で、自分にも人にもいつだって正直だ。そう、まるで帆高の親友の彼のように。だから里紗を初めて紹介した時も、帆高はあまり警戒しなかったのだった。一方の自分は、どうだ。

 何の罪も無い帆高にも里紗にも、そっけない態度をとってしまった。でも次からは同じ過ちは繰り返さない。努めて自然に、徐々に。昨日、脳内でシミュレーションをしてまでも、決めたではないか。
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