あたしが眠りにつく前に
 帆高がカタリとペンを置き、顔を上げ、

「私語は慎め。自習中だ」

静か過ぎる一声がざわめきを斬り払う。教室中が水を打ったように静まり返る。

「……い、一之瀬?」と隣の男子生徒は、声も顔も引きつらせる。

「あー、でも最低限度の相談なら、してもいいから。その代わり小声で」

 振り返るように教室を見渡し、帆高はうっすらと笑む。ホッとした雰囲気で全体が各自のプリントに戻っていく。同時に、不快にならない声量での会話が飛び交っていく。

「おい、横井。おまえが動かないから、俺が口出しちまうだろ。これ以上、浮きたくないんだけど。切実に」

「悪い悪い。でもさ、やっぱ一之瀬の方が委員長やるべきだったな。今からでも代わる?」

「断る。人の上に立ってまとめるの、性に合わないんだよ」

 またまた、と謙遜と受け取った横井らは意に介さず、帆高は不服そうにしている。

「すごいよね。さすが一之瀬君」

 珠結の隣の女生徒がヒソヒソと声を潜め、顔を寄せてきた。

「普通は『委員じゃないくせに、でしゃばるな』って、反感買うでしょ? でも一之瀬君ならみんな素直に従ってて、やっぱ信頼感あってこそなんだよねー。それに頭も顔も性格も良くてカッコイイなぁ」

 性格は…良いのか? ともかく彼女の憧れを崩さないため、相槌を打つだけに留めておく。話題は休み時間中の雑談と変わらない。帆高の地獄耳に届いたら、話し手の彼女ではなく、聞き手の自分が名指しで雷を落とされそうだ。珠結の名前が普段から呼び慣れているからだと、珠結は予感する。

「え。あんた、一之瀬君のこと好きなの?」

 珠結の前の席の女生徒も、そうっと後ろに上体を傾けて会話に入ってきた。女の子とは、なんと恋バナに目の無い生き物なのだろう。逆に興味の無い自分が枯れているのかもしれないが気にしない、一応。

「そ、そうじゃないよ。確かに素敵だなって思うけど、雲の上の人って感じで…」

「分かる分かる。男バージョンの高嶺の花。テレビの向こうのアイドルに恋する感じで不毛って言うか、私たち凡人には気が引けるよね」

「完璧すぎるもんね、一之瀬君」

「…帆高、そんなふうに思われてたんだ」

 うんうんと、2人は頷き、珠結は目から鱗が落ちた。

「そりゃ珠結は幼馴染だから。ちっちゃい時から一緒にいれば、今更そういう目で見られないんだろうけど。クラスメート以外の何者でもない私たちにとってはね」

 帆高は帆高だ。確かに何でもそつなくこなす、お手本のような人間だと認識しているが、距離を感じたことはなかった。何気なく手を伸ばせば、簡単に触れられた。向こうから差し伸べられた手も容易なく掴むことができた。

「そう、なんだ。あんまり意識したこと無かったから」

「あんな高物件な人なのに、よく恋愛対象外に思っていられるよね。それが不思議」
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