あたしが眠りにつく前に
 その日から、本格的に帆高を避けるようになった。

近寄って自分から挨拶をしなくなった。絶対の所用以外は声をかけなくなった。極力、帆高の視界に入らないようにした。

『ごめん、今忙しくて』

『先生に呼ばれてて、急ぐから』

『ねぇ、何話してるの? あたしも混ぜて』

 帆高が近づいて来ようものなら、色々な理由を付けたり気付かないフリをして友人の元へ駆け寄ったりして、さりげなく離れた。

顔を背けるような、あからさまな真似はしない。自然に笑い、普通に返事もする。ただ、帆高の複雑そうな顔は目に映さない。

 当然、屋上には行っていない。HRが終わると鞄を持って掃除場所に急ぎ、終わればさっさと一人帰路につく。考えすぎだとしても、互いの掃除場所が離れているためか待ち伏せは無い。もしかしたら屋上で待ち続けてているのだろうか。そうだとしても、行くことはない。携帯電話への着信やメールは一切無視した。

 帆高の日常から徐々に離れ、ただのクラスメートになる。それが彼のためにできる、せめてものことだと珠結は結論付けていた。

 帆高は去る者は追わない。人にそれほど固執せず、ドライでもある。だからこそスムーズに幼馴染としての強めの観念は自然消滅し、帆高にとって好都合になる。珠結はそう簡略的に考えていたのだが。


 ***


「たーまーゆ! いい加減起きろ!! お弁当食べるよっ」

「り、さ…? う…、今は、いい。後で食べる…」

 体をグラグラと揺すられ、珠結の意識は舞い戻った。しかし瞼は開かずに机に伏せったまま、珠結は掠れた声で応える。

日の下のドラキュラやゾンビのように、ぐったりと身動きしない。長い髪は珠結の顔も呼吸音も完全に覆い隠している。

「とか言って、昨日も最後まで食べなかったでしょ。早くしないと、私が全部食べちゃうよ!」

「…いい、よ。そのまま持って帰るより、誰かに食べて、もらった方が…いいし」

「何言ってんの!」体への振動が激しくなる。それでも無理だ、顔を上げられない。眠い。赤ん坊がぐずって泣くのに近い気持ちだ。

お腹も空いていない。食べるよりも寝ていたい。長い髪と枕代わりに組んだ腕でできる闇のスペースに浸っていたい。

「珠結、駄目だよ。食べないと、体がもたない」

 すぐ前方から、保健委員の彼女の声もした。

「ごめ、ん。本気で…寝る」

 意識が飛ぶまさに三秒前、なぜか揺すぶりが止まった。不思議に思う島も無く、突然窓からの日差しと蛍光灯の光の明るさが閉じた瞼を通して突き刺さった。

 揺すぶる手と入れ替わるようにして肩に置かれた手は女子にしては大きく、加わった力は強かった。ぐいと後ろに引き寄せられ、弾みで顔が天井を向く形となっていた。

 いったい何事。眩しさも手伝って何とか瞼をこじ開けて見上げると、能面のような帆高が見下ろしていた。
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