あたしが眠りにつく前に
目を合わせていても、‘視て’いない。そんな珠結の態度は今さっき始まった事では無いにしても、帆高の苛立ちは募っていく。ここには当事者二人きり、指導のために仲裁に入る立場の教員すら訪れない。尚のこと感情を抑える遠慮はいらない。
「何もしてないってば。…むしろ、あたしの方がしたでしょ。あの雨の日に勝手に帰って、メールも無視して。それなのに後で何も言われなかったし怒られなかったかったし。だから余計に気まずくてまともに顔見られなかったの。タイミング逃して今更だけど、ごめんなさい」
「それが、理由か」
「うん、そう。本当にごめん」
謝罪と同時に頭を下げる。帆高の反応はこの際考えない。とにかく今までの行動と謝る理由としては、筋が通っているだろう。言った言葉に嘘は無い。申し訳ないと確かに思ってはいたのだから。
「えっと、じゃあ、これで話は済んだよね。あたしもう教室…」
ククク。この場から早く去りたいと逸る珠結が顔を上げたのと同時に響いたその声は、珠結の歩き出そうとした足を止めさせた。
目の前の帆高はいつの間にか口を押さえて俯いている。肩は小刻みに震え、絶えず忍び笑いが漏れてくる。断じて今は笑いが起きるような状況ではない。氷を直接突っ込まれたかのように、珠結の背中に悪寒が走り抜けた。
「…俺もなめられたもんだな。そんな戯言を聞くために、わざわざご同行願ったわけじゃねえんだよ」
ゆらりと上げた帆高の顔は確かにわらっていた、けれども笑っていなかった。
「本当は端から分かってるんだろ? 俺が‘納得するはずがない’って。だからまた、逃げるんだよな。それなのに何でこれで終わると思ってんの? 珠結は肝心なところを分かってるようで、分かってなかったんだな。なあ、俺達、何年一緒にいるんだ?」
帆高の言うように、分かってはいた。ただでは逃げさせてくれない、怒られるのも覚悟していた。でもまさか、ここまで。
頭に浮かんだのはいつかの夕時。彼女が涙を流して震え、怯えてまでいた理由。分かっていなかった、初めて知った。こちらを見据える魔眼(め)は、紛れも無く狂者のものだったことを。
「なん…で」
「質問に答えろ」
「……十年、ちょっと」
口にして、その年月の重みを実感する。ゆえに帆高は問うたのだ。好き嫌いという趣向のみでなく、相手の意思や行動、以心伝心とまでは言えないが分かり合っている。そこに至るまでは、共有する長い時間の積み重ねが根本にあった。
帆高はだからこそ‘分かっている’と責める。しかし一方の珠結は混乱していた。彼の全てを分かっているつもりはない。それでも今日ほど帆高が分からない時は無い。
嫌なことをした、不快な思いをさせた。それにしても、どうして。帆高の逆鱗の意味が珠結には分からない。
「何もしてないってば。…むしろ、あたしの方がしたでしょ。あの雨の日に勝手に帰って、メールも無視して。それなのに後で何も言われなかったし怒られなかったかったし。だから余計に気まずくてまともに顔見られなかったの。タイミング逃して今更だけど、ごめんなさい」
「それが、理由か」
「うん、そう。本当にごめん」
謝罪と同時に頭を下げる。帆高の反応はこの際考えない。とにかく今までの行動と謝る理由としては、筋が通っているだろう。言った言葉に嘘は無い。申し訳ないと確かに思ってはいたのだから。
「えっと、じゃあ、これで話は済んだよね。あたしもう教室…」
ククク。この場から早く去りたいと逸る珠結が顔を上げたのと同時に響いたその声は、珠結の歩き出そうとした足を止めさせた。
目の前の帆高はいつの間にか口を押さえて俯いている。肩は小刻みに震え、絶えず忍び笑いが漏れてくる。断じて今は笑いが起きるような状況ではない。氷を直接突っ込まれたかのように、珠結の背中に悪寒が走り抜けた。
「…俺もなめられたもんだな。そんな戯言を聞くために、わざわざご同行願ったわけじゃねえんだよ」
ゆらりと上げた帆高の顔は確かにわらっていた、けれども笑っていなかった。
「本当は端から分かってるんだろ? 俺が‘納得するはずがない’って。だからまた、逃げるんだよな。それなのに何でこれで終わると思ってんの? 珠結は肝心なところを分かってるようで、分かってなかったんだな。なあ、俺達、何年一緒にいるんだ?」
帆高の言うように、分かってはいた。ただでは逃げさせてくれない、怒られるのも覚悟していた。でもまさか、ここまで。
頭に浮かんだのはいつかの夕時。彼女が涙を流して震え、怯えてまでいた理由。分かっていなかった、初めて知った。こちらを見据える魔眼(め)は、紛れも無く狂者のものだったことを。
「なん…で」
「質問に答えろ」
「……十年、ちょっと」
口にして、その年月の重みを実感する。ゆえに帆高は問うたのだ。好き嫌いという趣向のみでなく、相手の意思や行動、以心伝心とまでは言えないが分かり合っている。そこに至るまでは、共有する長い時間の積み重ねが根本にあった。
帆高はだからこそ‘分かっている’と責める。しかし一方の珠結は混乱していた。彼の全てを分かっているつもりはない。それでも今日ほど帆高が分からない時は無い。
嫌なことをした、不快な思いをさせた。それにしても、どうして。帆高の逆鱗の意味が珠結には分からない。