あたしが眠りにつく前に
 帆高はそう言いながらも、利用されていると思っていなかったかもしれない。けれども、そうじゃない。君の優しさに甘えていた、縛り付けていた。

たとえ帆高がとんでもない馬鹿だったとしても同じだった。自分の欲のために、我侭のために。帆高といることで得てきた安寧を手放したくなくて。彼がいてくれれば良かった。実質、利用していたのだ。

 告げた自分の気持ちは全て本物、やや歪めてはいるけれども。彼は事実を知った、しかし真実は知らないまま。これで十分じゃないか。

 ザアアッ。雨の勢いが増してきた。前髪から雫がポツポツとこぼれだす。微力ではあるが、風も吹き始める。制服の布地の下で、鳥肌が立つ。

ここいらで潮時だろう。屋上の扉へと一歩足を進めた時、前触れもなく突風が吹いた。珠結のスカートが翻り、腿を露にする。珠結は咄嗟に顔を覆い、一拍遅れて慌てて裾を押さえた。

帆高も同様に顔を覆っていった。その隙を狙うかのように、珠結は小さくでき始めていた水溜りを気にせず走り出し、校舎へと飛び込んだ。扉が閉まっても、雨音は絶えず聞こえてくる。この分だと、ますます激しくなってくることだろう。

 見られたか? 階段を下りながら、珠結は自分の足に眼を落とす。突然であり刹那のことだから、見られていないかもしれない。でも、もしかしたらとも思う。だとしても、以前ならともかく話し出されることはない。関係ないのだから、自分がそう導いた。

あと四段で三階に着くというときに、視界がぐらついた。バランスを崩し、珠結は床に叩きつけられた。痛みにうめく間もなく、緊張の糸が解けたせいか溜め込んでいたものを吐き出すかのように強烈な眠気が頭を支配する。

 壁際まで這って頭をぶつけること三度、痛みでなんとか意識を保つ。頭突きという暴挙は初の試みだったが、発作の規模からして適切だった。いささか強すぎたか、今度はジンジンと頭痛が後を引いてくる。同時に眠気に押し出された足の痛みが取り戻される。
どうやら膝を打っただけで足首はひねっていないらしい。簡単な触診により、痣にはなるだろうが大したことはないと判断できた。

「……やだ」

 ツウッと珠結の頬を涙が伝った。それを皮切りに溢れ出して止まらなくなる。頭と足の痛みのせいでも、怪我が大したものではなかったことへの安堵感によるものでもない。
窓の外は雨粒と風が季節はずれの嵐の勢いで、ガラスに吹き付ける。今だに、屋上の扉が開く音はしない。

 ―――泣いているのかもしれない。雨に紛れて、涙を拭ってくれる誰かもいない一人きりで。

「ごめ、ん。ごめん、ね……」

 ひどい事をしたと分かっているのに、なぜ自分が泣く。被害者ぶって、そんな資格なんて無いというのに。謝るぐらいなら始めからしなければいいだろう。これでは、あの二人と変わらない。

せめて代わりに空が泣いて。そんな台詞は死んでも吐かない。グズ、と鼻をすすり、珠結は手すりを掴んで立ち上がる。当然、頭と足の痛みは疼き続けている。これは好都合としか言いようが無い。

 あともう一つ、やるべきことがある。自分にしかできない、最後の義務。

間違っているとしても、余計なお世話だとしても、立ち止まってたまるか。

 頭上で、予鈴が鳴り響いた。
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