あたしが眠りにつく前に
教室に戻ると、授業は始まっていた。教師は珠結を見るなりかけるはずだった注意の言葉を口内に留めた。帰り支度をし、早退の旨を伝えるとすんなりと了承してくれた。
よっぽど青い顔で只ならぬ雰囲気を醸し出していたのか、普段は陽気な彼は珍しく唖然としていた。‘一緒に行った一之瀬はどうした’と問うクラスメートはいなかった。
そういえばロッカーに折りたたみ傘があったなあ。置きっぱなしで半年近く使っていなかったため、その存在を失念していた。
‘こんな雨の日に傘を忘れるバカがどこにいるんだい’
ええ、ここにいましたよ。おばさん。ある映画の1シーンを思い出し、クスリと噴出す。おかげで全身ずぶ濡れ、セーラー服の黒色をもってしても一目瞭然の状態に成り果てている。よっぽど今の自分は平常ではないのだなと思える。
取りに戻るには遅すぎる、目的地の家の前。珠結はインターホンに指を添えた。
「はい、どな……。ええッ、何なの!?」
ドアを開いた見るからに優しげな女性は、目を見開いて驚愕の声を上げて後ずさった。当然の反応だ、目の前に黒髪で白装束を着ていれば完璧なリアル貞子が佇んでいれば。
「あなた、どうし…、じゃなくて。タオル、タオル…」
「こんな格好で突然に、すみません。すぐに帰りますから。あたし、永峰珠結といいます。香さ…、絵里菜さんに会わせてもらえませんか」
「あのこに…ですか。ちょっと待ってね」
若く見えるが、女性は母親らしい。娘と同じ制服を着ていると分かると、少しは不審感が薄れたらしい。パタパタと階段を駆け上っていく。
室内はきれいに掃除され、フローリングの床には埃一つ無かった。こんなみっともない姿では、土間にすら上がることも憚られた。下駄箱の上には白いポットの観葉植物とアンティークなミニチュアのイスとテーブルのインテリア、その隣には見開きの写真立が置かれている。絵里菜と両親の3人が家の前と入学式の時らしい、学校の校門の前で微笑みかけてくる、幸せそうなポートレート。
この家の住所は里紗を通して聞き出していたが、家族構成までは知らなかった。珠結と同じく一人っ子らしい。しかし同じであっても…なんて羨ましい。
そんな中で、上からは小声ながらも諍う声がする。しばらくして、母親一人が階段を下りてきた。手には柔らかそうなレモン色のタオルが一つ。
「せっかく来てくれたのに、ごめんなさいね。あのこ、今は誰にも会いたくないみたいで。学校のお友達よね? いつもありがとう。はい、良かったらこれ使って」
「どうも、ありがとうございます。…まあ、そんなものです。具合、良くないんですか?」
「いいえ、体の方は健康で問題ないのよ。ただ、気持ちの問題で学校に行きたくないって。本人に聞いたら、私が心配するようないじめとかがあった訳じゃないとは言ってたけど。理由も話してくれないし、困ったものね。心当たり無い? …あら、そういえば、まだ学校の時間じゃ…」
「ちょっと事情がありまして。分かりました、では、伝言をお願いできますか」
よっぽど青い顔で只ならぬ雰囲気を醸し出していたのか、普段は陽気な彼は珍しく唖然としていた。‘一緒に行った一之瀬はどうした’と問うクラスメートはいなかった。
そういえばロッカーに折りたたみ傘があったなあ。置きっぱなしで半年近く使っていなかったため、その存在を失念していた。
‘こんな雨の日に傘を忘れるバカがどこにいるんだい’
ええ、ここにいましたよ。おばさん。ある映画の1シーンを思い出し、クスリと噴出す。おかげで全身ずぶ濡れ、セーラー服の黒色をもってしても一目瞭然の状態に成り果てている。よっぽど今の自分は平常ではないのだなと思える。
取りに戻るには遅すぎる、目的地の家の前。珠結はインターホンに指を添えた。
「はい、どな……。ええッ、何なの!?」
ドアを開いた見るからに優しげな女性は、目を見開いて驚愕の声を上げて後ずさった。当然の反応だ、目の前に黒髪で白装束を着ていれば完璧なリアル貞子が佇んでいれば。
「あなた、どうし…、じゃなくて。タオル、タオル…」
「こんな格好で突然に、すみません。すぐに帰りますから。あたし、永峰珠結といいます。香さ…、絵里菜さんに会わせてもらえませんか」
「あのこに…ですか。ちょっと待ってね」
若く見えるが、女性は母親らしい。娘と同じ制服を着ていると分かると、少しは不審感が薄れたらしい。パタパタと階段を駆け上っていく。
室内はきれいに掃除され、フローリングの床には埃一つ無かった。こんなみっともない姿では、土間にすら上がることも憚られた。下駄箱の上には白いポットの観葉植物とアンティークなミニチュアのイスとテーブルのインテリア、その隣には見開きの写真立が置かれている。絵里菜と両親の3人が家の前と入学式の時らしい、学校の校門の前で微笑みかけてくる、幸せそうなポートレート。
この家の住所は里紗を通して聞き出していたが、家族構成までは知らなかった。珠結と同じく一人っ子らしい。しかし同じであっても…なんて羨ましい。
そんな中で、上からは小声ながらも諍う声がする。しばらくして、母親一人が階段を下りてきた。手には柔らかそうなレモン色のタオルが一つ。
「せっかく来てくれたのに、ごめんなさいね。あのこ、今は誰にも会いたくないみたいで。学校のお友達よね? いつもありがとう。はい、良かったらこれ使って」
「どうも、ありがとうございます。…まあ、そんなものです。具合、良くないんですか?」
「いいえ、体の方は健康で問題ないのよ。ただ、気持ちの問題で学校に行きたくないって。本人に聞いたら、私が心配するようないじめとかがあった訳じゃないとは言ってたけど。理由も話してくれないし、困ったものね。心当たり無い? …あら、そういえば、まだ学校の時間じゃ…」
「ちょっと事情がありまして。分かりました、では、伝言をお願いできますか」