かえりみち
卓也には分かっていた。
自分がこれから発する言葉が、幸一をどんなに傷つけるかが。
幸一が示してくれた好意全てを踏みにじる裏切りのようにも思えて、卓也はどうしても幸一を見ることができなかった。
でも、言わなければならない。

「あの人は…僕の存在を最初から、どんな時も望み続けてくれた、たった一人の人です。命をかけて、僕の命を今につないでくれた人です。…一人で死なせたくない」

「私からも、お願いします」
扉がバタンと開いて、そこに百合が立っていた。

「このままじゃタクは、チェロを弾けないと思います。お願いします。行かせてあげてください」

少しの沈黙。そして、その後-

「分かった。行っておいで」

卓也が顔を上げると、幸一は微笑んでいた。
悲しそうな笑顔だった。

「島田さん」
何か言いたげな卓也を、幸一が遮った。

「大丈夫。行ってきなさい」

「・・・ごめんなさい」
卓也は頭を下げると、楽屋を飛び出した。

「開演までに、必ず戻りますから!」

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