たとえばそれが始まりだったとして
「送ってくれてありがとうね。……重くなかった?」
家の玄関先で私と桐原君は向かい合っている。夜の住宅街は吃驚するほど音がない。
「全然。心配しなくても大丈夫だよ。それに脚力には自信あるからね」
得意げに笑う桐原君に、私も自然と笑みが浮かぶ。
「ね、桐原君」
明かりの灯っていない家を見上げて言う。
「あたしね、桐原君に聞いてほしいことがあるの。話したいことがいっぱいあるんだ」
他の誰でもなく桐原君だから、そう思う。
「……うん。聞きたいな、春日原さんの話。俺もっと春日原さんのことが知りたいし、春日原さんにも俺のこと知ってほしい」
私も、桐原君を知りたいって思うよ。
「あのさ、さっきは何か色々言ったけど、そんな深く考えないでね。付き合うのなんて、一緒にいたいがための口実にすぎないんだから……うん」
そうかもしれないね。本当はとてもシンプルで、好きだから、一緒にいたいから、付き合う。それはきっと当たり前のこと。私は今身を持ってそれを感じている。桐原君がいなかったら知ることもなかった。
ひとの気持ちは変わりやすい。でも、そればかりじゃないのかもしれない。
ありがとう。そう、心のなかで呟いた。
「それじゃあ、そろそろ帰るね。また、明日」
「うん、また明日」
私が返すと、桐原君は目を細めて嬉しそうに微笑んだ。それは青空みたいな澄んだ笑顔。私は桐原君が見えなくなるまでその背中を見送っていた。
明日からは、きっと景色が変わるだろう。
朝の三十分がもっと特別な時間になる。門をくぐって別れる時、また明日なんて言わなくて済む。会いたくなったら、迷うことなく会いに行けばいいのだから。
いつから、なんてわからない。
わからなくてもいいと思う。
だって、今この気持ちがあるのは確かなのだから。
たとえばそれが始まりだったとして、願わくば、訪れる終わりはどうか人生の終わりであってほしい。
【END】