たとえばそれが始まりだったとして


「あんた、バスで行くの? 車あるし送ってこうか?」

不意に発した言葉は、思っていたものではなくて。一瞬言葉に詰まる。

「ありがとう。でもバスで行くよ。友達と一緒に行く約束してるから」

「友達?」

ぴくり、お姉ちゃんがゆっくりと体を起こす。
不思議に思いながらも私は頷いてみせた。

「うん、友達。最近朝一緒に行ってるんだ」

昨日の夜、桐原君からメールが来て、朝雨だったらバスで行こうということになったのだ。

最寄りのバス停にバスが来るのは、普段私が家を出る時間より十分ほど早い。バス停まで歩いて二、三分だから、今日はいつもよりちょっと早起きだ。いつもは仕事でいないお母さんとも顔を合わせたし、お姉ちゃんとも会えた。家族がこうして朝揃うなんて、休みの日でもなかなかない。それを喜べないのは、お姉ちゃんがいる理由が理由だから。

「男なんだ」

かすかなお姉ちゃんの声。
聞き取れなくて「え?」と聞き返せば、なにが逆鱗に触れたのかお姉ちゃんは肩を震わせテーブルに拳を叩きつけた。

「お、お姉ちゃん?」

「男なんでしょ! あたしがひとり寂しく夜を過ごしたっていうのに! あんたはいつから姉不孝になったの!」

「は、え、お姉ちゃん? ちょ、ちょっと落ち着いて」

「もういいわよ! お姉ちゃんをおいて男のところでもどこでも行けばいい!」

「いや、行くのは学校なんだけど。夕方には帰ってくるし」

「うー、小春まであたしを見捨てるのね」

「お姉ちゃん酔ってる!?」

お姉ちゃんは再びテーブルに逆戻りしてうぅっと声を漏らし始めた。

明らかに泣き真似だよね、うーってもろに日本語の発音だし。

「お姉ちゃん?」と優しく呼びかけても聞こえるのは嗚咽もどきで。

なんだこの扱いにくい生き物は。
私にどうしろというんだ!


そこでふと時計を見ると、時間がおしていることに気づいた。これでは早く起きた意味がない。

いまだ嘘泣きを続ける我が姉が気になりつつも、私は仕方なく支度を始めたのだった。


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