たとえばそれが始まりだったとして
なんとか支度が整ったのは、家を出る五分前。その間も、お姉ちゃんはテーブルを動こうとはしなかった。さすがに嘘泣きは止めたようだ。
家を出る直前、お姉ちゃんに声を掛けるのは忘れない。
「お姉ちゃん、あたし行くね?」
「……」
「朝ごはん、お勝手にあるからちゃんと食べてね」
「……」
しかとですか。
「はあ。じゃあ、行ってきます」
無反応なお姉ちゃんを諦めてリビングを出ることにする。
「小春」
その声に、足が止まる。
振り返って、声の主を確かめた。
「明日、でかけるわよ」
ぽつりと漏らしたその言葉。
明日、は土曜日。
五月の第四土曜日。
「うん、わかった。行ってきます」
言いたい事ををぐっと堪えてリビングを出る。
「行ってらっしゃい」
その直前聞こえた声が、嬉しいのに喜べなくて。雨のなかで私はひどく息苦しさをおぼえた。
バス停に着いて数分待つとバスが来て、順番に乗り込んだ。料金は後払いだから乗るときはスムーズだ。
雨の日だけあって、バスには学生が多い。ちらほらとうちの高校の制服を着た学生も見かけた。私の乗ったバス停は学校に近いこともあり、すでに席は埋まっていた。
その中でお目当ての人がいないかきょろきょろしていると、いきなり腕を掴まれてびくっと体が過剰反応してしまう。
「わ、ごめん。そんなに驚くとは思わなくて」
腕を掴んだのは、お目当ての人。申し訳なさそうに空いた手で後ろ頭をかいている。
「ううん。おはよう、桐原君」
「おはよう」
するとたちまち笑顔になる桐原君。
桐原君の笑顔は天気に関係なく晴れやかだ。桐原君の笑顔を見るとなぜか安心する。
「春日原さんは、雨って嫌い?」
片手を手すりに預けて窓の外に視線をとめたまま桐原君は言った。
「え?」
「すごく憂鬱そうな顔してるから」
「え」
桐原君は驚きに目を見開かせる私に視線を移すと、可笑しそうに、だけど穏やかに笑った。