たとえばそれが始まりだったとして
とはいえ俺は矢部ではないので矢部の腹の内などわかるはずもないとすぐに考えるのを止めた。矢部に対し腹が立ったり呆れたりする事はあっても、不快感を感じた事は不思議とないので、まあ、いいかとも思った。

階段を一階分下り、二階に差し掛かる。

「彼、なかなか大物みたいだね」

「わっ!」

突然の声に肩を上げ背後を振り返ってみれば、なんて事はない。ヒロが階段の上で矢部が消えた廊下の先を愉しそうに見つめていたのだった。

ヒロこそが、教室で俺に注意を向けなかった残りの五分の人間だ。その背はいかにも無関心を装っていたが内心では爆笑していたに違いない。
一段ずつ階段を下りてゆっくりと近付いて来るヒロに恨めしげな視線を送っているとそれがいけなかったのか、次の瞬間その顔からすっと笑みが消えた。

「修一、ミーティングなるべく早く終わらせたほうがいいかもよ」

そのいつになく真剣味を帯びた表情に、何か漠然と得体の知れない恐怖を感じてしまった。

「そのつもりだけど」

かと思えば次の瞬間にはもういつもの薄い笑みに戻っていて。

「そう。じゃあ、俺はこれで。また月曜に」

「ああ。じゃあな」

変わり身の速さに戸惑う俺は放置で、ヒロはひらひらと片手を振りながら俺を追い越して階段を下りていった。

「何なんだ……?」

その時、廊下の奥から「桐原ー!」と呼ぶ声が届いて俺は無理矢理意識を切り換え、矢部が待つであろう空き教室へ足を向けた。


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