たとえばそれが始まりだったとして


◇◆◇


ぽかぽかと温かかった。
大きめのセーターがすっぽり全身を覆っていて、春の日差しにも匹敵するほどの心地よさを生み出している。意味もなく手を振ってみては、余って垂れた袖がぶらぶら揺れるのを楽しんだ。

なんて、ひとり呑気に遊んでいるけど、実はそんな平和な雰囲気ではなかったりする。

踊り場に突如として現れた桐原君は正義のヒーローみたいだった。まさか殴りかかるとは思わなかったけど。普段温厚な桐原君とは違った一面を見た気がした。それでも、来てくれて安心したという事に変わりはない。

その桐原君と、私の脳内で消したい記憶ベストファイブ入りを果たした問題の眞鍋君とが、目の前で対峙している。背を向けている桐原君の表情はわからないけど、殴りかかった時のような剣呑さは感じられない。落ち着いた空気を纏って、無表情の眞鍋君と見つめ合っていた。


先ほどから無言が続き、まさに膠着状態。
雨音がやけに耳につく。

なんか、こうしてても埒が明かない気がしてきたぞ。

「あのー。桐原君?」

くいくいっとワイシャツの裾を引っ張ると、桐原君はちょっと驚いたように振り向いた。

「どうしたの?」

「あの、ね、あたしは平気だから、その……帰ろ?」

私の出した名案に桐原君は今度こそ目を見開いた。

「ちょっ、ちょっと春日原さん、あの、眞鍋に何かされたんだよね? 平気って平気じゃないでしょ? こういうのははっきりしておかないと――」

「いや、本当に大丈夫だから! うん、別にあれは事故だから。単に口がぶつかっただけだから。気にする必要は皆無だから」

「……は?」

「眞鍋君も反省してるみたいだし今日のところは勘弁して――」

「なに!? 春日原さんキスされたの!? 眞鍋に!?」

「いやいや、あれはそんなんじゃなかったよ。そう! 事故なんだ!」

「はあ!? 有り得ねえ。眞鍋の奴、絶対ヤる!」

「ちょ、ストップ! ストーップ桐原君! 落ち着いて!」

何でされた本人の私より桐原君が怒ってるんだ。
今にも掴みかかりそうな桐原君に、庇うように眞鍋君を背にして両手を突き出した。

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