たとえばそれが始まりだったとして


「春日原さん?」

桐原君は戸惑ったように眉を寄せて私を見る。

「あのね、怒ってくれるのは、嬉しいんだよ。本当に。でもでも、もういいの。ありがとうね」

微笑んで感謝の意を口にすれば、桐原君は一瞬眉がピクリと動いたけれど、仕方ないと困ったように笑ってくれた。それに私もほっとひと安心。

漂う和やかな空気、だけどそれに水を差したのは、この場に似合わない不自然な笑い声だった。

「――ははっ」

思わずびくりと肩が上がる。

笑ったはずの眞鍋君は、けれど俯いていて、その表情は読めない。

「下らない、ほんっと、何なの君達」

独り言ともとれる程囁かな声だった。でも、すぐ近くいた私にははっきり耳に届いた。きっと桐原君の耳にも。

「眞鍋君?」

近付いて、顔を見ようと一歩踏み出した時、左肩を掴まれた。誰に、なんて疑問に思うまでもない。手から腕を辿って目線を上げていくと、警戒心を目一杯滲み出して眞鍋君を睨み付ける桐原君の顔が目に入った。眞鍋君に向ける鋭い眼差しとは打って変わって、私の肩に置かれた手には確かな温かみを持っていた。

「そんなに警戒しなくても、もう何もしないよ」

眞鍋君の声に視線を正面に戻す。
眞鍋君は既に顔を上げていて、にんまりと口元に弧を描いてこちらを向いていた。

肩に置かれた手に、僅かに力が籠もる。痛さはない。ただそれでわかった。桐原君は眞鍋君に対し警戒心を緩めるどころか一層強くしたみたいだった。確かに、警戒、とは違う気がするけれど、眞鍋君の本心が見えないし、何て言うか、危うい感じがする。安心しろと言うのは無理があり過ぎる。

再び広まった緊張感に逃げたくなった。もちろん肩を掴まれている以上そんな事は不可能だとわかっているし、そんなつもりはないけれど。


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