甘い魔法―先生とあたしの恋―
『どうせ来ないんだけど、一応……』
昨日、市川がそう言いながら見せた、少し沈んだ表情。
父親が仕事で忙しいってのは、俺も何度か市川から聞いた事がある。
それについての文句なんかじゃなくて、どっちかって言うと、口に出して自分を納得させているように見受けられた。
『お父さんは、仕事大変で忙しいから……』
『仕方ないんだよ、仕事って大事なのよく分かってるし』
俺にそう言いながら、まるで自分に言い聞かせてるような市川の言葉。
いくら忙しくったって……別問題だろ、家族の事は。
それに……。
母親が出て行ってからは、市川にはもう父親しかいないのに、なんで寮になんか入れて突き放すような事……。
「……」
『市川』
キレイな字に、立派な家。
それを眺めていたら、なんでだか無性に市川の顔が見たくなって。
しばらく見上げていた家から目を逸らす。
そして、寮への帰り道に足を進めた時、
「うちに何か御用ですか?」
後ろから呼び止められた。
その声に振り向くと、そこには中年の男が立っていて……俺を怪しんだ様子で見ていた。
怪訝そうな顔つきが、威嚇しているように見える。
「あー……っと、市川さん、ですか?」
「そうですが、なにか?」
突然の出来事に、少し歯切れ悪く言えば、すぐに威圧するような声が返ってきた。
とりあえず、怪しい人物扱いから逃れるために、覚悟を決めて市川の父親と目を合わせた。