追憶のマリア
どれくらいの時間眠っただろう…。
ふと母は目を覚ました。
何も纏わずに眠っていたはずが、いつの間にか布団にくるまっており、その温もりが心地よくて、母は一層深い眠りに落ちてしまったようだ。
ゆっくり、なるべく音を立てないように起き上がり、薄暗い部屋全体を見回した。
ガランとして無駄な物など何もない部屋。
右手にはベランダへと出られる大きな窓。
左手にはベッドサイドに引き出しのついた低い棚、他に四角い小さめのテーブルが所在無く、部屋の余った空間を埋めていた。
その向こうに、昔ながらの押入れがあり、その横、少し奥まった所に部屋の出入り口があった。
母はベッドを降り立ち、出入り口まで静かに移動すると、そっとその扉を開けた。
リビングのソファーには、昼間母に乱暴しようとした男が、毛布一枚を着込み、背もたれと向き合うようにして、うずくまって眠っている。
母は全神経を緊張させながら、気付かれないように、音を立てず男に近付いた。
どうしても思い出せなかった男の顔を、一目見てみたいと思った。
50%の恐怖心と50%の好奇心が混ざり合った、複雑な想いを抱え、母は恐る恐る男の顔を覗き込む。
スッと通った鼻筋、引き締まった口元、整った眉、長い睫毛…
その美しい寝顔に、母はほんの束の間、見とれてしまった。
真っ直ぐな黒い髪が頬にかかっていて、母はそれを除けてもっとよく彼の顔を見ようと、そっと手を伸ばした。
もう少しで触れられる…
そう思った時、母の伸ばした手は男の大きな手につかまれた。
男は目を閉じたまま、母の手首をつかんだ手意外はピクリとも動かさず、
「まだ寝てろ。」
と静かに言い、母の手を離し再び毛布の中に自分の手を戻し、毛布を首まで引き上げてしっかりくるまりながら、身体を少し揺らして寝心地を直した。
そしてまた、男は動かなくなった。