追憶のマリア
 母は男のあまりに不思議な反応に、思考がうまく働かず呆然とした。


 触れようと手を伸ばしたら、目を閉じたままの男に阻止された。


 男に何故そんなことが出来たのか。


 男は身体の全感覚で、自分の周囲の状況を知覚している、そんな風に感じた。


 しばらくポカンと男の後頭部を眺め、そして母は、諦めたように静かに寝室へ戻った。






 再びベッドに横になっても、母はなかなか寝付けず、居心地のいい体位を求めてゴロゴロ身体を転がした。


 不意に部屋のドアが開き、そこに…


 表情のない死人のような男が立ち、物も言わず母に視線を注いでいる。


 母は言葉を失った。


 初めて見る、男の目を開いた顔…


 大きな目の中にある漆黒の瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚えた。


 喜怒哀楽の〝喜〟と〝楽〟を忘れた顔、そんな印象だった。


「眠れないのか?」


 男がようやくその重い口を開いた。


 母は小さく首を縦に振った。


「アイツはもうここにはいない。安心しろ。」


 そう言われてようやく、昼間の恐ろしい出来事を思い出す。


 でもこの時、母の眠れない原因はゴールドヘッドではなかった。


 見知らぬ男の家に監禁されているというこの危機的状況下で、あろうことか、母はたっぷりと睡眠をとってしまい、もう眠くないのである。





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