追憶のマリア
 いつも無表情な窪田が今、とても悲しそうな顔をしている。


 窪田も苦しんでいるとはっきりわかる。


 でもこの時の母の瞳には何も映らなかった。


 この時の母には、そんな窪田の痛みなど全くわからなかったんだ。


「あの写真を手にした時から…あんたは俺のマリアだった。俺はキリシタンじゃないし、神も信じないけど、あんたは俺にとってマリアなんだ。」


「今の私はもう、写真の私じゃない。」


 そう言って窪田から目をそらし、浴室の鏡に映る自分を見た。


 鏡に映った全裸の自分が、とても汚いものに見え、母はとっさに固く目を閉じた。


「あんたの微笑みは…空っぽで、真冬のように枯れ果てた俺の心に、小さな温かい光を灯してくれた。それは今も変わらない。」


 窪田はどんなに母が顔をそむけようようと、母を見詰め続けた。


 目を離したら、母が消えてしまいそうな気がしたから。


 母を失いたくなかったから。


「あなたは…写真の私を見て、マリア様のような崇高な女性を勝手に想像して作り上げただけよ。それは私じゃない、まやかしよ。それに…あの写真の私は海司に微笑んでるの。あなたにじゃない…あの微笑みは、海司だけのものよ!!」


 母は傷つけたかった…


 窪田の心を傷つけて壊したかった…


「それでも構わなかった。俺に微笑んでるんじゃないってわかってても、俺は癒された。それに…実物のあんたは…俺の想像した女そのものだった。」


「何が『癒された』よ!!何が『想像した女そのもの』よ!!ふざけないでよ!今の私はこんなにも汚いのに…殺してよ!!殺して…」


 母は狂ったように叫び続けた。


 『殺して』と何度も何度も…


 激しい怒りと苦しみで…母は今にも粉々に砕け散ってしまいそうだった。





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