恋よりも、
今まで相手に期待を持たせないようにその場で断って来たけれど、返事を先延ばしにされたのは初めてだった。そのせいで、上手く対応が出来なかった。
「やっぱあいつ原田のこと好きだったんだな」
「っ先生! 驚かせないで下さい……」
本当に、この人は。
げんなりして溜息を吐いた。すると先生はいきなり私の手首を掴み、なんとそのままずいずいと歩き出した。否応無しに動かされる足。
「ちょっ、先生!? 何処に行くんですか? 私帰るんですけど!」
整えられた黒い髪に声を張り上げると。
「送る」
「へっ?」
返された一言が聞き取れなくて間の抜けた声が出てしまった。
それがお気に召さなかったらしい。
先生は足を止めて大袈裟に溜息を吐いてみせると、こちらを振り返って不機嫌そうに言った。
「もう六時半になるんだよ。こんな時間に一人で帰せるか。分かったら黙ってついて来い」
そして再び歩き出す。
私の手首を掴んだまま。
「え? あの、先生……?」
「家まで送るだけだから、誰かに見られる心配もねえだろう」
「え……」
それは、つまり。
「先生っ!」
「……なんだよ」
「あのっ靴! 昇降口なんですけど……」
そう告げると、ピタリ、足が止まる。そして数秒の後、手を離した先生が前を向いたままぼそりと言った。
「……職員用玄関の前で待ってろ」
歩き始めた先生の後ろ姿を見つめながら、私は無意識に微笑んでいた。先生、昇降口が違うなんて当たり前の事にも気付かないくらい私を引っ張るのに夢中だったんですか? とはさすがに可哀想なので言わないけれど。先生にも、自分の失態を恥ずかしいと思う謙虚な心があったんですね。振り向かなかった先生がなんだか可愛かった。
それに。
保健室で私が言った事、少しは伝わったのだろうか。照れくさいような、嬉しいような、むず痒い気持ち。
私はにやける口元を抑えきれずに昇降口へと引き返した。