日露戦争と栄養のはなし
要するに、当時の日本の医学界は、脚気の原因をまだつきとめていなかったのです。
脚気はそれまで集団で罹患することが多かったので、伝染病だとも考えられてもいました。
あと、丁度この頃ドイツで細菌が発見され、
病気=細菌の所為という考えが世界中に広まっていました。
だからもしかしたら、日本の医学界でも『脚気菌』なるものを探していたのかもしれません。
しかしある時、海軍軍医大艦・高木兼寛がひとつの点に注目しました。
それは、どの船にもあった軍医日誌です。
彼は、出港から日が経つに連れて脚気罹患者が増え、
どこかの港に入港すると逆に脚気が治まるという結果を知りました。
どの船でも、それは同じだったと言います。
ここで彼はやっと、脚気は食事が原因なのではないかと考えました。
日が経つと船に積んだ食材も、どんどん新鮮でなくなっていきます。
つまり出港と入港で変わるのは環境ではなく、食事なのでした。