日露戦争と栄養のはなし
そこで高木兼寛は、健康な海軍を使って、何度も実験をしました。
兵士の半分に今まで通りの食事/
もう半分に、麦飯・肉・魚・大豆などの、たんぱく源(当時は窒素と言っていました)のある食事を与えました。
結果、前者は全員が脚気を呈し、症状も悪化。
しかし、後者は一人も脚気にかかる事が無かったそうです。
けれども、ここで問題が。
『脚気食物原因説』を打ち出し、即刻軍の食事を改善すべきだと主張した高木に、
当時の医学界が真っ向から猛反対をしました。
先に述べた通り、医学界は皆ドイツかぶれで、
これほど原因のはっきりしなかった恐怖の病の原因が食事だったなどという考えに、アレルギーを示したのです。
その所為で、脚気の対処法が分かったにも関わらず、
軍はそれを適用せず、明治十六年にある事件が起こりました。